誰も信じられないときは・・・
誰も信じられないと嘆く前に、自分が人から信じてもらえる人になったらいい。
そういう趣旨の言葉を当事者向けの雑誌の読者投稿欄で見かけた。心に引っかかって、忘れられない言葉である。
人を信じるってすごいエネルギーがいる。自分自身だって信じられないときがあるのに、まして他人なんていつ裏切るかわからない。それほどでなくても、人の悪口を言ったことのない人なんて皆無だと思うから、自分が言われてると思うと疑心暗鬼になっても不思議ではない。
それでも、私は人間というのは失敗が許される唯一の生き物であると思うから、疑いながらでも手を組めるし、愛することもできると信じている。
他の生命体は失敗しようがないように、遺伝子に生きるための道筋があらかじめ組み込まれている。そして、環境に適した進化を遂げていく。
人間はどんどん便利に簡単に生きていけるように、文明を築いていったが、同時に 心 というもの、 愛 というもの、 想い というもの、が普遍的であるように 言葉 というものを生み出していった。
LOVEという言葉が 愛 であると訳した人はそこに言葉の壁は感じなかったのではないか。私たちはいずれ理解しあえるのではないか、そういう幻想を抱いたのではないか。
そして、愛する人を守るために、という大義名分でたくさんの血が流れた。
私たちはたくさんの過ちを犯した。小さいもの大きいもの、過ちを犯さない人なんていない。それでも、誰も間違おうとして過ちを犯したものは一人もいない。それぞれの正義、正しさで判断して生きている。
大切なのは過ちを犯さないことではない。過ちを犯すまいと真実を見誤ることだ。
昔、ある漫画に出てきた言葉である。私たちはそろそろ 真実 というものについて、自覚して生きていくべきではないか。
それぞれの正義ではなく、真実であれば、答えは他者と摺り寄せができる。そのための生き方として、冒頭の
誰も信じられないときは、自分が信じるに足る人間になればいい
という生き方に通じてくる。大切なことであると思う。少なくとも私はそんな風に生きたい。
さて、今日の昼食ですが、鶏もも肉を使った焼き鳥を食べようと思います。
材料
鶏もも肉 100グラム
みりん 適量
醤油 適量
白だし 適量
料理酒 適量
作り方
鶏もも肉は小さめの一口大にカットして、二つに分ける。
フライパンに半量ずつ入れて焼き、あらかた火が通ったら、醤油、みりんで味をつける。もう片方は、白だし、料理酒で味をつける。
雰囲気を楽しみたい時には、カットした鶏もも肉を串にさして、グリルで焼き、それぞれ煮詰めたたれにつける。
これは注釈は要らないくらい簡単な料理です。
以上、参考になりましたら、幸いです。