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ある作家の推察

先日YouTubeを視聴していて、ある作家の対談中の言葉が気にかかった。最近の売れる小説の傾向として、これこれこういうことがありました、という中にどれだけ想いや考えが逡巡したか、延々と描かれているものが多いそうなのだ。

もっとも私が苦手とする分野である。

大体が、紹介文でも書いてある通り出たとこ勝負の人間で、やってから考える人間であるから、行動を起こすときには直感だけが頼りなので、熟考なんて今までしたことあるか、記憶にないほどである。

別に作家になりたいわけではないのでかまわないが、それにしても、そういうたぐいの本が売れているということは、いかに言葉の裏を考えている人が多いか、ということの証である。

人が言ったことの裏を考えなきゃいけないのは、セールストークだけかと思っていたら、日常会話でもそうなんて、私が生きてきた過程でありとあらゆるところで、浮いていた訳が今わかった気がする。

私はなんでも言葉通りに受け取ってきた。どうぞ、と勧められたら一旦お断りする、という暗黙のルールも年を取ってから理解したくらいだ。

最近でこそ、つまらないものですが、なんて言葉は聞かれなくなったが、昔はそういってなんでも謙遜して、我が子でさえ人前では愚息です、とか言ったりするという文化圏の住民には私はなれなかった。

といって、最近の我が子を天使のように扱う文化も受け入れられない。あくまで人間の子として社会に還元するまでの育成をしてきただけなので。

その判断の中に、熟考すべきことはない。ただ、感じたままに思ったままに生きてきただけだ。

いつも人が何を考えているか、裏を読まないといけないなんて息苦しくてやってられない。


私の言葉に他意はありません。一応ここに明言しておきます。言葉通りに受け取ってください。