本稿のねらい
本稿は題名のとおり、法制審議会家族法制部会第29回会議(本会議)の議事録(議事録)を読んだ単なる雑感であり、ねらいもなにもない。
なお、基本的には、過去投稿した要綱案の取りまとめたたき台(1)に関する2つの記事に関連するものである。
本会議を経て要綱案の取りまとめに向けたたたき台(1)につながっているわけであり、是非過去の2つの記事も参照されたい。
養育費に関する議論
議題は、部会資料29「第1 養育費に関する規律の見直し」にあるとおり、次の2点であった。
父母が養育費の分担につき定めず協議離婚をした場合における「法定養育費」導入の是非等
養育費等に係る民事執行手続の「一回化」
特に熱心に議論されていたのは上記1. の「法定養育費」に関してである。
この「法定養育費」に関しては、大きく、次の4点について議論されていた。
① 「法定養育費」の制度を導入することの可否・正当性
② 「法定養育費」の金額/債務者の過大な負担
③ 「法定養育費」の請求を認める要件
④ 「法定養育費」の請求の主体
以下では、この4つの点について、議論の様子と筆者の雑感を述べていくことにする。
なお、国や自治体等の公的な機関による立替制度の必要性も多く主張されていた。その必要性は頷けるが、法定養育費が制度化、すなわち実体法上の権利であることが民法上明確化されれば、基本的には予算さえとれれば可能となるため、国や自治体が立替払いを行い、求償していくというフローが回り始めることになると思われる。(運用等はこども家庭庁等が持ち帰り議論することになる)
(1) 法定養育費制度導入の可否・正当性
この点、父母間で子の養育費の分担に関する定めがない場面に関して(※)、法定養育費の制度の必要性がある/高いことはあまり異論・反対がなかったところである。
※ 養育費を支払わなくてよいとする父母間の定めがある場合でも「養育費の分担に関する定め」があることになるのかどうかも少し議論されていたが(議事録29頁〔池田委員発言〕)、父母間において諸般の事情もあろうこと、また法定養育費の性質にもよるが、仮に父母間で、一方が他方に対して養育費を支払わなくてよいと定めたとしても、子は父母に対して扶養請求権を持っていることから(民法第877条第1項)、一律「養育費の分担に関する定め」がないこととして扱う必要はない。
他方で、その位置付け・許容性・正当性については、一定の議論が行われた。
┃ 武田委員(議事録3頁)
┃ 原田委員(議事録16頁)
どのあたりが理論的によくわからないのだろうか。
この後にも触れるが、「法定養育費」の制度は、父母間において子の監護費用(養育費)の定めをしない場合のデフォルトルール(法定利率のようなもの)であると考えれば、十分、理論的にも説明可能と思われる。
なお、デフォルトルールであると考えるときに、たしかによくわからなくなるのは、父母間での協議や家庭裁判所の決定までの間の「応急的な制度」である点をどう説明するかである。通常のデフォルトルールには、そういう応急的な意味合いはなく、単に当事者間で定めがない場合に、その間隙を埋めるという意味合いしかない。法定養育費制度にそこまでの意味をどのように持たせるのかは難しいところだが、その意味を持たせるのであれば、時限を区切ることにより間接的に表現するしかないように思われる。
┃ 沖野委員(議事録21-22頁)
沖野委員としては、上記のように、法定養育費について応急的な制度である点を強調し時限を区切るということをすれば、空白が生じ結果として子の不利益となることから、一般的なデフォルトルールとし(まさに法定利率のような考え方)、時限を区切らないことが適当ではないかという意見のようである。
また、このようにデフォルトルール構成とすることにより、法定養育費制度のネックとなっている債務者の手続保障の観点はクリアできるとのことである。
(2) 法定養育費の金額
中間試案段階では、A. 最低限度の額を法令で定める考え方とB. 標準的な父母の生活実態を参考とする金額を法令で定めるものとする考え方があるとされていた(部会資料29〔4頁〕)。
A. 最低限度の額とすることに賛同する意見
┃ 井上委員(議事録6頁)
┃ 今津幹事(議事録6頁)
┃ 杉山幹事(議事録14頁)
B. 標準的な父母の生活実態を参考とする金額とすることに賛同する意見
┃ 沖野委員(議事録23頁)
沖野委員の考え方は、契約理論におけるデフォルトルールを養育費の定めに持ち込むものであり、一見座りがいいのだが、やはり金額に関しては破綻するように思われる。
つまり、法定利率のように、一定の経済状況に置かれた一般人であれば、誰が運用しても法定利率程度の運用が期待できるものであれば別だが、養育費に関しては、その論拠が子の父母に対する扶養請求権にあり、同じ状況に置かれた一般人であれば誰でもクリア(履行)できるものではない。
子の父母に対する扶養請求権の中身として、「生活保持義務」(繰り返すが筆者はこの内容について極めて懐疑的である)が問題となっている以上、単純に契約理論を援用することはできないと思われる。
もしこの点を乗り越えようと思えば、次の棚村委員の発言のように、一定のパラダイムシフトが必要である。
┃ 棚村委員(議事録32頁)
つまり、子を養育していない父母の一方に対し、自身がどれだけ困窮を極めていたとしても、子の利益・子どもの保護のためには、協議が整うか家庭裁判所の決定があるまでは身を削ることを強いることを憲法的にも正当化できなければならない。(公的扶助などは差押禁止のはずだし)
┃ 落合委員(議事録32頁)
「この金額にどうせ落ち着く」ことをポジティブに考えるかネガティブに考えるかは立場によると思われる。
これは、結局、法定の金額をあるべき金額に修正するためのコストを父母のどちらが負うべきかの問題である。
C. その他意見
┃ 武田委員(議事録3頁)
┃ 大石委員(議事録4-5頁)
政省令は物価を反映させてスライド可能である。
人が1人増えても生活費は単純に倍数にならないのと同様(よく√人数倍とするのが適当といわれる)、こども1人ずつにつき生活費はその倍数にはならない以上、1人あたりの金額ではなく、こどもの人数ごとの金額となるのが正確なはずである。(経済学者とは…)
┃ 赤石委員(議事録11頁)
┃ 水野委員(議事録14頁)
┃ 柿本委員(議事録16頁)
┃ 小粥委員(議事録18頁)
合意を促す意味では一理あるように思われるが、養育費を受領する側の父母の一方としては、合意をすれば受領できる金額が少なくなることが目に見えているため、むしろ合意を行うインセンティブがなくなるように思われる。
それでも、養育費を受領する父母の一方をあらかじめ有意な立場に置くことで交渉力を高めるという間接的な意味は残るか?
また、そもそも過度に高額な養育費はそもそも履行されないことから、履行可能な金額にまで交渉により調整されることを狙ったものだろうか。
いずれにせよ、過度に高額な養育費を請求される側の父母の他方にとっては、協議離婚に応じないことでしか対抗できず、少なくとも父母間においてフェアなルールとは思われない。
(3) 法定養育費の請求を認める要件
┃ 沖野委員(議事録22頁)
しかし、仮に、養育費を支払う側の父母の一方は、適正な金額を支払う旨を提案しているにもかかわらず、それを受け入れられず(法定の金額よりも少ない金額が適正な金額の場合であろう)、そのため家庭裁判所の決定が必要となるようなケースにも法定養育費の請求を認めてよいのか、という問題はあるように思われる。
(4) 法定養育費の請求の主体
基本的に法定養育費の請求の主体としてあり得るのは2種類であり、A. (主に)子を監護する父母の一方、又は B. (主に)子を監護する父母の一方又は子である。
A. (主に)子を監護する父母の一方を請求主体すべきという意見
┃ 今津幹事(議事録6頁)
┃ 原田委員(議事録17頁)
┃ 沖野委員(※大村部会長まとめ議事録25頁)
B. 子を(子も)請求主体とすべきという意見
┃ 池田委員(議事録28頁)
C. いずれか不明
┃ 小粥委員(議事録19頁)
親子交流に関する議論
親子交流に関しては、主に次の2点について議論されていた(部会資料29〔22頁〕)。
父母の婚姻中の親子交流の規律の見直し
親子交流に関する裁判手続の見直し
この上記1. は従前、判例や解釈により民法第766条の類推適用で対応してきた婚姻中かつ別居中の父母の一方と子の面会交流(親子交流)に関し、明文化を試みるという提案である。
また、上記2. は親子交流に関する調停・審判の手続において、それらの成立前の段階で事実調査のために試行的な親子交流を促すことなどを提案するものである。
本会議ではいずれの点についても熱心に議論されていた印象であり、以下では、この2つの点について、議論の様子と筆者の雑感を述べていくことにする。
なお、特に上記2. の試行的親子交流の要件として部会資料29・22頁で示されていた「家庭裁判所が、継続的な親子交流の実施の可否やその方法について調査するため必要があると認めるときは、親子交流の実施が当該子の心身に害悪を及ぼすおそれがない限り」という提案について、曲解?し、原則実施の考え方でありおかしいという趣旨の反対意見も多かったが、前段に、「家庭裁判所が必要と認めるとき」とあり、原則実施とは到底読めないと思われる。(筆者は、父母の婚姻関係の有無にかかわらず、父母と子が交流できる環境が必要と思っており、原則実施が望ましいと考えている)
(1) 父母の婚姻中の親子交流の規律の見直し
A. 民法第766条類推適用の実務を明文化することに賛成する意見
┃ 今津幹事(議事録35頁)
┃ 菅原委員(議事録37頁)
┃ 池田委員(議事録40頁)
┃ 石綿委員(議事録41頁)
┃ 棚村委員(議事録41頁)
┃ 武田委員(議事録42頁)
B. 民法第766条類推適用の実務を明文化することに反対の意見
┃ 戒能委員(議事録38頁)
┃ 原田委員(議事録39頁)
まず、婚姻中にもかかわらず子を連れて別居しておきながら(単純に考えて監護権侵害である)、ニュートラルとかフラットというのはどういうことだろうか。
┃ 赤石委員(議事録46頁)
個別の案件については一方当事者のみの主張でありなんとも言いがたいが、仮に父母の一方から父母の他方に対して暴力等があったとして、それをもって子との関係で交流をさせないことが常に適切とは限るまい。
当然、子に対しても同様に暴力等があれば、面会交流を行うことが子に悪影響しか与えないことは想像に難くないが、そういう証拠が出ていなかっただけであろう。
(2) 親子交流に関する裁判手続の見直し
枠組みとしては概ね賛成の意見が多かったものの、一部、いわゆる親子交流原則実施論を気にする意見があり、意味不明ではあるが、一定の数の委員・幹事が懸念をしていた。
そのため、要綱案の取りまとめに向けたたたき台(1)では、次のように修文された。
A. 部会資料29「第2の2」のうち特に(1)の記載に反対する意見
┃ 窪田委員(議事録35頁)
┃ 赤石委員(議事録36頁)
┃ 原田委員(議事録40頁)
┃ 池田委員(議事録40頁)
┃ 石綿委員(議事録41頁)
┃ 棚村委員(議事録41−42頁)
B. 部会資料29「第2の2」に基本的に賛成する意見
┃ 今津幹事(議事録35頁)
┃ 水野委員(議事録34頁)
┃ 菅原委員(議事録37-38頁)
後半部分は非常にいいことを発言しているのに、前半部分がもったいない。
「害悪がないこと」など確認できるわけがない(家庭裁判所は人ならざる神ではない)。そのようなことは不可能を強いるものであるし、そもそも事実調査の過程のことであり、「害悪がない可能性が高いこと」を確認するための試行的な親子交流である。主従、目的と手段が逆転している。
部会資料29の第2の2(1)「親子交流の実施が当該子の心身に害悪を及ぼすおそれがない限り」というのは、水野委員発言のとおり、十分慎重に考えられた表現である。
┃ 棚村委員(議事録42頁)
┃ 武田委員(議事録43頁)
この点、家庭裁判所の実務に関して向井幹事(最高裁判所事務総局家庭局第二課長)から次のような説明があり、それによれば、同居親から子と別居親の関係に問題があると主張されている場合、同居親の同意を得るのに時間がかかっているとのことであるが、どのあたりがニュートラルでフラットなのかまったく疑問である。なお、ここに「別居親の立場からすると」との発言があるが、別居親の立場ももちろんだが、子の立場からしても別居親と離れて交流できないことがなによりも問題であり、裁判所はなにもわかっていないのではないかと思わざるを得ない。
C. その他の意見(試行的親子交流の要件論など)
┃ 戒能委員(議事録38頁)
┃ 原田委員(議事録39−40頁)
以上