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自意識過剰を克服する

noteを始めてよかったことの1つに「自意識過剰の克服」がある。

世の中に自意識過剰を自認している人はたくさんいるとは思うが、私ほど自意識過剰の人もそうはいないと思う。

まず家庭環境がよかっただけに、小さいときから「姿勢をよくしなさい」「髪が伸びているから切りなさい。」「お化粧をきちんとしなさい」「親戚がいる場所ではきちんとした服装にしなさい」などなど、常に他人から見られることを意識させられてきたというベースがある。

いつ誰がどこから見ているかわからないという感覚は常に自分の中にあり、「両親に恥をかかせてはいけない」、「きちんとしていなくてはいけない」と常日頃思って生きてきた。

さらに容姿がそこそこよく、頭もそこそこよく、運動神経もそこそこよく、広く浅くなんでもできるため、学校では常に目立つ存在であり、学級委員、班長、生徒会、部長など常にリーダーシップを求められてきた。

読書感想文、絵画コンクールなど学校行事ではいつも何らかの賞をとった。

これらの生い立ちから、自分は注目されるべき人間であり、常に「模範とならねばならない」「あこがれられる存在でなくてはならない」という選民意識が強く、失敗するところ、恰好悪いところは見せられないと思っていた。

この意識はSNSにも強く影響を及ぼした。

まず、フォロワーが少ないのは恰好悪い。変な投稿はできない。投稿に対して何のリアクションもないのは耐えられない。と自分に対してのハードルが高いあまり、SNSは誰にもわからないようにアカウントを作り、自分から発信することができなかった。

それが、仕事をやめることになり、その過程で「もう人になんと思われてもいい」と思えたことで、noteを始めることができた。

始めてみたところ、びっくりするほど反応がなかった。

「どんなことを書こうと、誰も別に見ちゃいない。誰も自分のことなんて気にもとめてない」
なんだか逆にほっとした。

リアクションもフォロワーも気にならなければ、自分が思うことをダラダラ書いても気分転換でしかないため、書きたいことはいくらでもでてくる。

noteで気ままな投稿ができるようになったことで、ついにインスタにも投稿することができた。
インスタなんて芋づる式に知り合いとつながりそうで、ひっそり見ていただけだったので、フォロワーなんてゼロに等しい。(noteもだけど)

そのインスタにようやく初投稿できた。
これまた笑っちゃうくらいリアクションはない。
たまに知らない人からお情け程度に1個「いいね」がつくくらいだ。

何を今までびびっていたんだろう。

私の自意識過剰は、noteのおかげでだいぶん克服できたように思う。



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