見出し画像

自分とわかり合いたくて生きている

さて、二投稿目となる今回は、noteを始めるに至った経緯に触れたい。

冒頭に載せた絵は自作のもので、私は絵を描くことを生業にしたいと考えている。
(今後は記事とともに、自分の描いた絵をアイキャッチに置くなどしようかなと思索中。)
仕事とは、生きる手段ではなく目的そのものであるーー私のような人間にはそうでしかあり得ないのではないかと、思い至った。

そもそも自分の思考を文字に起こしてみようという気になった、あるいはその時間が得られたのは、先般20代勤めた会社を退職し、心機一転、自分をフラットな身に置き直したことが大きい。
頭でっかちな子どもだった私が社会に出た20代、思いがけず、また有難くもそれなりに忙しく楽しく「善く」働かせていただけた。

ただ、この道はどこまでいっても真理を求める旅である。
真理とは、この世を理解し、納得すること。
突き詰めればそれは、自分を理解し、わかり合うことである。

「自分とわかり合いたくて生きている」。
人と触れ合い、あるいは拒絶し、美しいものに心揺さぶられ、己の手で再現するーー
私のすべての行動はそのひとつに行き着くものであると、痛感せざるを得ないのである。

希求する想いはやまず、気づけば自分の足下を見直すところへ来ていた。
きっとそれは、とても自然なことだった。

美しいものに触れること、人と語ること、本を読むこと、思索すること、表現すること。
それらすべては、対話である。
幾度も対話を重ねて、この世で1番わけのわからないーーそして何よりもわかり合いたいひとり、「自分」に近づいていくのである。

私がこうして綴ることは、「自分との対話」にほかならないが、これをもし目にする方がいるのであれば、それはあなた自身との対話になる。

多くの人の「対話」を盗み見て、自分の輪郭に触れさせてもらったのが今日の私である。
こんな拙いことばでは、いいとこ自分との対話に終始するのが関の山だろうが笑、それでも人目に置く以上は一言申し上げるのが礼儀と心得る。

そこに「対話」が生じることがあるならば、それは有難く、尊ぶべきことであると感じる。

自分との出逢いに溢れる豊かな時間が、誰にももたらされることを願って。




=====

▼イラストレーターやっております('ω')
TOP画像のようなイラストを描いています○
よければご覧ください~


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?