見出し画像

しなやかさを鍛える

私、高校時代に少しだけ体操競技というスポーツに関わっていた為、体のしなやかさを手に入れる過程の苦しさを存じ上げております。
特に、もともと体が硬い人間が筋力と共に柔軟性を手にするまでは苦難の道でしかありません。
断言できますが、男性の方でも高確率で泣きます。
ジュニアの子達が泣きながらエグイ柔軟をコーチに補助してもらいながらやっている姿は見てられません。

体操競技の業界では普通なんです。

でも一度手にすると、その動作は美しく磨かれたものになります。
オリンピック選手の演技は全てが美しくスローで見ても乱れる事がありません。
だから人は感動したり、憧れたりするのかもしれません。

内村選手のトカチェフ

限界突破は苦しい

高校から体操競技に関わった私は、体の柔らかさゼロ、筋力ゼロでしたのでまさに1からのスタートでした。
体操競技では筋トレというものが存在せず、技の練習をしていれば自重を扱えるようになり勝手に筋力が身に付きます。
足りない分は補強という事で、技の中でパワーが必要な部分を切り出し動作がスムーズにできるように繰り返し行います。

すると、伸肘倒立(しんぴとうりつ)と言って体操で基本となる技です。

一方で柔軟性です。
関節の柔らかさ手にするには、ただ一つ”限界を超える”という事だけです。
これ、簡単な様で難しいです。
限界を超えようとすると激しい痛みが襲います。
大袈裟ではなく、本当に筋が切れてしまうんじゃないかと思います。
声も出せません、悶絶状態です。
人間は限界を越えようとするとき、必ず拒否反応が出ます。
ヤバいと感じたら体を元に戻そうと抵抗するんですね。
なので一人で柔軟はやっても大きな成果は得られません。
必ずタッグで取り組み、逃げようとする体を押さえて限界を突破する補助をするんです。

関節の可動域は自分の想像を超える


補助付きで毎回少しずつ自分の限界を超えると、不思議な事に徐々にではありますが柔軟をしていても痛くないタイミングがやってきます。
というのも、床にぺったりと体がついてしまい、それ以上補助者が押せなくなってしまうんです。

補助を付けて柔軟を続けると、こうなります。

でも、実はここで終わりではありません。
あくまで床があれば脚でも180°が限界ですが、空中でも開脚する必要がある競技ですので次の領域があります。

こんな開脚は180°以上が求められます。

一見、周りから見ればそこまで必要なのか?と思われるかもしれませんが、空中姿勢の美しさや技の雄大さは柔軟性が影響してきます。

やってみると分かりますが、人間の関節って思いの外可動域が広いのです。
もちろん個人差はありますが、柔軟をやり始めた時に想像していた自分の限界と思っていた感覚より遥かに広い範囲まで動かすことができます。
この感覚は周囲からは分かりにくいですが、自分の感覚としては他人に聞いて欲しいくらい劇的に違うものです。
*10㎝広く脚が開脚できただけでも、自分の中では大きな感覚の違います。
一気には行けないにしても毎日少しずつ限界を越えれば、気付かないうちに自分の想像を超えた領域に来ていることは多いです。

<ちなみに>
柔軟性といえば股関節と脚に目がいきがちですが、肩関節は体操競技にとって重要な部位です。
『肩関節をかえす』と表現をするのですが、順手から逆手に変わる時どれだけ狭い感覚で肩をかえす事ができるかという柔軟性です。
*1本の棒を持って肩をかえしてみると分かります。

ここが順手の限界で、背中側に棒を持っていきながら持ち手を変えず逆手にします。

しなやかさ=柔軟性とパワーの両立


”しなやか”といえば柔らかさが目立ちますが、単純に柔らかさだけでは成立しません。
そこに体を締めるというパワーが必要です。
先日の投稿でも書いておりましたが、柳の枝は風に吹かれて受け流す柔らかさと元の位置に戻るパワーが両立しています。
表現は難しいのですが、『弾性』というか『バネ感』といった所でしょうか。
毎日トレーニングにて力を付けながら、補助者と共に柔らかさを身に付けるという事が必要なのかもしれません。

人間としての柔軟性


これを人間の肉体ではなく、精神面に置き換えてみるとどうでしょうか?
パワーは決断力、行動力、思考力、判断力、知識といったところでしょうか。
日々の自分の決断や行動によって知識や思考力が身に付き、逞しい姿になっていくイメージがあります。
社会人1年目の新人が3~4年も経てば業務を立派にこなし、自分の考えで動き始める姿を見ると『あいつ逞しくなったなぁ』と感じるようなところでしょうか。

あれ?あいつ背中あんなにデカかったっけ?

柔軟性は、他人の事を考える心(真)、想う心(善)、感じる心(美)、というところではないでしょうか。
自分とは異なる価値観に対して共感したり、自分以外の存在のことを真剣に考えたりすることだと思っています。
柔軟と同じで、これらは自分一人では越えられない壁があります。
そもそも自分の事ではなく”他人の事”である以上、必ず相手が必要になります。
そして現状の自分の価値観という、ある意味限界を補助者と共に越えていく中で得られるものではないかと思っています。

私の活動している経営実践研究会では、これら真・善・美の成人発達を人間の本質的な成長と捉えており、共に学ぶ仲間を補助者とし日々柔軟性を身に付けるべく活動しております。

人間は垂直方向に成長する事が大切だ。

冷暖自知

「人の水を飲みて、冷暖自ら知るが如し」という言葉として、「人が水を飲んで冷たいか温かいかを体で知るように、直接的に体験する。また、その体験のように他人には伝えられない消息、という意にも用いる。」

『禅語辞典』抜粋

先程の経営実践研究会で仲間と共に何をしているかというと、結局のところ人と出会うという事です。
経営者の団体に入り、社会課題の解決に向かって本気で取り組んでいる方のお話を伺う機会を多く頂いています。
その方達からは、本気で誰かの事を考え、本気で動き、苦しくても目標の達成に向かい動き続けている姿勢や、その熱量を感じさせられます。

話を聞く度に自分のレベルの低さに嫌気がさし、自虐に走り出しそうになりますが仲間と共に未来を語り時には厳しい指摘を受けながらも切磋琢磨をする貴重な機会を頂いています。

冷暖自知という言葉に出会いました。
色んな事に触れてみないと物事の本質や、温度感は分からないものです。
メディアが充実し情報が多い為に、実態に触れないまま分かった気になっている事が一番怖いですね。
現場に近いところで多くの素晴らしい方とお会いし、その想いや行動に触れる事で心の柔軟性は身に付くのかもしれません。
パワーと柔軟性の両立、自分でできる事から始めよう!と思うと筋トレという発想になりがちですが、少し痛みは伴うものの美しい所作の原点である柔軟性から一緒に取り組んでみませんか?

開脚旋回、綺麗だな~。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?