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端っこにいるから、見渡せる。

コロナが蔓延し始めた2020年、私は人類の滅亡を覚悟した。

TVで見る有名人が次々と倒れ、マスクやトイレットペーパーは常に不足、老舗の料理店は閉業に追い込まれ、どこに行ってもマスク着用を求められ、罹患してもPCR検査は受けられず…といった異常事態。

ステイホームという言葉の明るさが、逆に滅びの前を予感させた。

戦争、災害、隕石衝突…人類の滅び方は色々あるけど、実際は疫病によるものなんだ、と思った。

ステイホーム中に考えた。
人類、滅亡したら、どうなるだろう。
この宇宙、世界、景色、認識できる生物はいるのだろうか。
そう考えている今の意識、それだって有限だ。

ここが、人類の「端っこ」なんだ、と思った。
端っこにいると、人類全体のことを考える。
私は、人類の歴史、生命の誕生、宇宙…について、本を読み漁った。
この生が、人間であるうちに、人間であることを享受する方法がこれしかないと思った。

あれから4年の時が経つ。コロナウイルスで多くの、悲しい犠牲があった。
それでも、今のところではあるが、人類は滅亡せずに済んでいる。
私自身は今でも、人類や生命の歴史には興味はある。しかし、あの時ほどの切羽詰まった感じはない。

人類全体のことを知りたい、その情熱は、人類の端っこにいたからだったのだ。


そして、今は2024年の端っこにいる。
端っこにいると、なぜだか振り返りたくなる。
年末、月末、週末、夜。そして、人類の終わり。
端っこにいるから、見渡せるのかもしれない。

だから、2024年12月31日は、2024年のことを振り返って、書こうと思う。


note以外についての振り返り

まず、note以外の生活について振り返る。
2024年4月、2歳になる息子は保育園に入学した。
知育に力を入れており、評判もいい保育園に運よく入ることができた。

なぜ保育園入園を決めたのか。私は出産後すぐに、自宅保育でWebライターをしていたが、家に子供がいる状態での仕事に限界を感じていた。家でYoutubeばかり見せていることに罪悪感を感じ、保育園で周りの先生やお友達と関わった方が、彼のためにもいいように思えたのだ。

保育園に預けることで、仕事をもっと増やせると、期待していた。

しかし、その目論見は外れてしまった。
息子は5月に入ると、保育園で流行るあらゆる風邪をもらってしまったのだ。

自宅保育になり、さらに病院、発熱している子供の看病をしながら、増やした分の仕事全てがのしかかる。肺炎になって入院をした時は、付き添い入院をしながら深夜にPCを開いて作業。全ての仕事で言えることだが、業務委託のWEBライターは結果が全てだ。入院中に頑張ったとか、関係ない。ただ品質と納期内に提出できたかどうか。それが全てだ。

何より息子の苦しそうな顔を見ると、罪悪感でいっぱいになった。

3日間で退院して保育園に復帰した後、息子は手足口病とコロナにかかった。コロナは私にも感染し、人生で初のコロナとなった。5月で納期を融通してもらった、信頼を取り戻さないと、熱で浮かされる中、深夜に作業したのでなかなか治らなかった。

私は、頑張ることをやめた。
保育園代が赤字にならないように、頑張っていたが、コロナ感染を機に、いくつかの仕事を減らした。そして、「〇〇が流行っている」という通達が出たら、すぐに自宅保育に切り替えている。

わずかな仕事のために、時々保育園に行っている状態だ。

今後、保育園を続けるかどうか、まだ決めかねている。自宅保育中の息子はとてもかわいくて、どうせ幼稚園以降離れることになるならば、しばらくは一緒にいてもいいんじゃないかと思っている。ただ、そうなると私の自由が全くない。私は保育園に預けている時、仕事をこなすことばかり考えていた。1日でもいいからカフェに籠って、「読書だけをする日」を決めれば良かった。そういう時間、来年は欲しい。


noteについて

noteの執筆が、2024年の後半にとって、大きな出来事だった。
このことについて、振り返っていきたいと思う。

語りたい衝動に任せる。

私は、好きなものを語る場が欲しくてたまらなかった。

フリーランスで、地元じゃない場所で出産し、周りに何か好きなものを語れる友達もいない。ママ友は気のおけない仲になるまで時間がかかる。何より自分の「好き」を押し付けると迷惑がかかるかもしれない。

夫とは必ずしも趣味が合うわけではなく、自分の「好き」が夫と合わない場合も多く、夫も好きだから悲しくなってしまう。

でも、お気に入りは、語りたいことは、自分の中で止まらずに溢れていく。
noteを書くことを思いついたが、また始めるか、迷った。また、続かないだろう。以前も、noteを開設してはアカウント削除していた。途中で飽きないだろうか。最後まで書き終えられるだろうか。

でも、語る場は欲しかった。とりあえず、書いてみよう。

最初に書いたのは6月中ば。仕事と仕事の合間ではあるが、Audibleで聞いた本の読書感想文を書いた。

思ったよりスキ数が多く、他にも色々投稿したいと思っていた。が、仕事やコロナからの回復が忙しく、次に投稿できたのは2ヶ月後の、8月だった。

読者の役に立つ?好きなことを書く?

当初は、10個のスキがつくだけでも嬉しかった。
コメントはなかなかつかない。コメント通知が来た!と思って急いで覗いてみると、「フォローありがとうございます。」のみで、内容には触れてくれてなくてがっかりした。

それでも、私にとっては書くこと自体が楽しく、面白い書き出しや結び、表現の工夫…家事や仕事中に思いついては、時間を見つけて好きなことを書いていた。

そんな時、私にとって忘れられない出来事があった。

「なぜ書くのかコンテスト」の中間発表である。

ご案内:この件、ネガティブなことを思い出させてしまったら申し訳ないのですが、私にとってターニングポイントとなるので書かずにはいられません。長くこの話をするつもりはないため、見たくない方は目をつぶって3~5秒スクロールをお試しください。

センシティブ配慮してみた

私は参加していないコンテストだった。主催者さんのマネージャーさんが中間発表を担当しており、厳しめの口調で「落とした理由」が語られていた。(当コンテストにおいては)センシティブへな内容を読む人に配慮すべき、読む人が得をする文章を書くべき…そんな内容だった。

(※中間発表で落選された方々の文章も気になって全て目を通したが、個人的に不愉快になるということは全くなく、本当に素敵な文章ばかりだった。少なくとも、厳しい言葉は似合わないような気がしていた。)

私のことを省みた。私は…普段の文章からできているだろうか?
好きなことだけ書いて、ちゃんと人の役に立とうという気持ちはあるのか?
人の役に立つ気持ちが薄いから、コメントがつかないんじゃないか?

同時に、マネージャーさん仰せのことを、普段の文章から守る必要はあるのだろうか?

このことについて何か書きたい、という衝動にかられた。

思えばこの記事はターニングポイントだった。

主催者の藤原華さんからもコメントをいただくとともに、偶然にも「なんのはなしですか」デビューも果たしてしまった。

「なんのはなしですか」を回収しているコニシ木の子さんからこの言葉をいただいた。

「『なんのはなしですか』はコンテストと真逆の立ち位置にあります。」

コニシさんの言葉から抜粋

この言葉で、私の心が定まった。
いいんだ。なんのはなしかわからない話をしても、いいんだ。

それから、私は「なんのはなしかわからない話」も書くようになった。
なんのはなしか分からなくても、少なくともコニシさんは聞いてくれる。
そして、同じく「路地裏の住民」も時々コメントしてくれる。

私は、どんな話も、書かずにはいられなくなった。

自分自身の「なんのはなしですか」マガジンも作っている。

一方で、「文章で人の役に立ちたい」に関する思いもあり、下記のような記事を書いている。

最近は、あまり「人の役に立とう」と思って文章を書いていない。
自分のことをひたすら語っている。自分の内面から見た風景、それを語ることで、共感した方がコメントしてくれる。

自分語りを後押ししたのは、みくまゆたんさんの企画「#自分語りは楽しいぞ」だった。みくまゆたんさんご自身もライターをされており、普段お仕事で読者目線を意識されているからこそ、もっと自由に、自分について語ってもいいんじゃないか、そのように問題提起されていた。

同じくWEBライターである私は共感し、喜んで参加した。

企画の大きさも相まって、多くの方にコメントいただいた。
この記事をきっかけに仲良くなった方もいる。

(みくまゆたんさん、素敵な企画を立ち上げてくださってありがとうございました!)

それからの私は、超自分語り人になっている。誰に需要があるのかわからないから、面白い。思わぬところに共感が生まれる。

自分語りを極めてるのは例えばこんな作品だ。

もう、年末のキワキワ、トッポの最後までチョコたっぷりに自分語りしてる。自分にはエピソードがないと思っていたが、少し掘るとあれもこれも湧き出てしまう。

優しく見守ってくださる方がいらっしゃるから、安心して語ることができる。

小説が読まれるようになるまで

同時に、noteで小説を書き始めた。
人生で初めて小説を書いたが、様々な発見があり、執筆の楽しさを知った。最初は全然読まれず、大学時代の友達に読んでもらっていた。
「ほぼ自伝やん」て言われて、恥ずかしくなった。

私は、知り合い以外に小説が読まれないことに悩みを抱えていた。

もっと幅広くいろんな人に読まれたい。そう考えていた折、本田すのうさんの「下書き再生工場」に出会った。誰かの下書きタイトルをお題にして、創作をする試み。多くの人が参加しているため、読んでもらえるかもしれない。本気でやろう、と思って、下記の作品を1週間ほどかけて創作した。

16000字ほどの長い小説だったが、同時期にマイトンさんのメンバーシップに入ったこともあり、様々な人に読んでもらえるようになった。

自伝的要素を含まない作品として書けたのも成長の一つだ。様々なお優しい方と交流ができたと思う。

また、この作品を作るにあたって、原典を研究した。

この記事は、物語以上に人気となり、複数の方から紹介やマガジン登録をいただいた。

また、田原にかさんのショートショートnoteにも参加させてもらっている。
下記の作品で、「毎ショセレクション」に選んでいただいた。

あと下記の作品も気に入っている。

物語にもコメントをいただけるようになり、「広く読まれたい」という自分の欲望が叶ったのが嬉しかった。お題から何かを書く訓練にもなった。

私にとって忘れられない経験となったのは、「秋ピリカグランプリ」である。

上記、審査員個人賞をいただくことができ、自分にとっても大事な作品となった。秋ピリカをきっかけに多くの方とコメントのやり取りをすることができるようになった。

もう一つは、灯火さん主催のコンテスト「#灯火物語杯」に応募した下記作品である。

灯火賞を取ることは叶わなかったが、念願だったnote公式の「注目記事」に選ばれることができた。灯火さんとnoteさんからの大きなクリスマスプレゼントだと思う。通知が来てから1日~2日はドキドキが続いた。自分にとっても、書いていて楽しかった、黒木さんのようなイケメンがいたらいいな、と思いながら書いた作品だ。

追記:ブラック・クリスマスを読んでくださった方に、続編を書いた。


おわりに

2024年の端っこから、今までを見渡してみた。

ずいぶん遠くまで歩いて来てしまったと思う。
2024年は、私にとってのnote元年だった。

noteで交流のある方々は、職場の同僚以上に親しみを覚える。
自分が「語りたい」と思った、その願いも叶っている。

来年のことは来年(1/1~1/2)に、語りたい。
今年はやりたいこともできて、本当に楽しい毎日を送れたと思う。
こんな充実した1年間はこれまでになかった。
この「やりたいこと」をベースに様々なことに取り組んでいきたい。

今年、出会って下さった皆さん、ありがとうございました!!
良いお年をお迎えください!来年も、よろしくお願いします!

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亜麻布みゆ
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