見出し画像

自分らしくを追求した結果

はじめに

皆さん、こんにちは
唐突ですが、皆さんは自分らしく生きていますか?
「うん!自分らしく生きてる!!」と自信を持って言える方も
そうでない方もいると思います。
はて、自分らしく生きるって、哲学すると簡単な様で難しい気が
私には思えます。なんせ39年間の歳月を、このテーマでもがいて
来たのですからね。
まだまだこれからもずっと、このテーマを追求していくのだと思います。
ここで自分らしくとは、「自分勝手に我儘に強引に生きていく」と
言う事とは違いますよね、そんな事をしてもボッチになるだけで
幸せに生活を過ごせるとは思いません。
では、「幸せに自分らしく生きていく」という事とは一体どんな事
なのでしょう。
そこで、私のこれまで経験してきた歴史を振り返り、
皆さんにお伝えしていきたいと考えています。
それを通して、人生の迷子になっている方や同じ悩みに苦しんでいる方々に、
幸せな人生をおくるヒントとなってもらえれば最高に嬉しいです。

自己紹介

まずは、皆さんに私の事を知って頂きたいと思います。
私は、1982年(昭和57年)5月に神奈川県横須賀市に男の子として
生+(性)を受けました。
家族は、祖父、祖母、父、母、そこのに私が誕生、3年後に妹が誕生。
とても元気で文句の付けようのない身体でしたが、一つだけ意図としない
変化がありました。
この変化に気がつたのは、幼少期の前半で幼稚園入園の頃でした。
それは、心の中は女の子だったのでした。
しかし、待望の長男として生まれた私の環境は、心の私を許さず、
無常にも男の子としての人生が始まりました。
幼稚園入園後、祖母の意向で、精神と礼節を鍛えるために剣道を始め、
厳しい洗礼を受けました。
しかし、身体は思いのほか順応して、道場でもそこそこの結果を
出すことができました。
団体戦の先鋒で不敗、3位入賞や常にレギュラー陣の一人でした。
剣道を真剣にやっていたのは、小学校4年生までで、それ以降は、
父の上司が運営しているリトルリーグという野球チームに入団し
野球少年としての生活が始まりました。
野球は、父が長男ができたら「一緒に甲子園を目指したい!!」
という夢があった様で、その勢いに呑まれた私はついつい
「やりたい!!」と心と真逆な答えを発しました。
心の声「着物を着て踊りをしたいんだけどなぁ….。」
そんなこんなで、野球をしている姿を喜ぶ父や祖父母の笑顔が
私も嬉しくなり、高校入学の頃には、神奈川県では有名な強豪
某Y高校に入学し、高校球児として青春を過ごしていく事に
なりました。
しかし、高校生活は私が思っていた以上に過酷で、時には消えて
無くなりたいと思うほどの出来事の連続でした。
何せ心はJK(女子高生)でしたから…。
体育会特有の先輩たちからの逆らえない圧力はご想像にお任せ
します。
父には、何度もカミングアウトの予兆を発信していたのですが、
全て偏見の言葉で返り討ちされました。
「お前は男だろ!気持ち悪いことすんな!!」の切れ味鋭い
言葉で一刀両断でした。
また、祖母には「あなたはここの長男なんだからこの家を
ちゃんと継ぐんだからね。ヒロなら大丈夫ね。」と
追い討ちのプレッシャーにまみれた環境でした。
そんな環境でもいつかはありのままに生きていけると信じて
男としての人格を纏い、高校三年生になる頃には東海大学系の高校に
転入し2000年の夏に家族の夢であった甲子園にレギュラーとして
出場することができました。
卒業後は、ほとんど女の子の自分をかき消し家族の為に理想の長男で
ある様に振る舞い強い男像を纏いながら、結婚し3人の子どもにも
恵まれ成人期を過ごしていくのでした。
成人期は本編で詳しく書き進みたいと思うのでそろそろこの辺で
一旦、現在について紹介すると2021年10月にカミングアウトし
2022年1月から完全に女性として生活し、2023年1月19日
性別適合手術を終えて、今こうしてパソコンに向かい自分らしさを
お伝え出来る様にまでになりました。
ここに行き着くまでには、色々な方と出会い、沢山の気づきを頂き、
心を支える言葉をもらい、今を過ごせる様になった訳です。
その出会いによる変化や心境の変化などを詳しく本編でお伝えしたいと
思います。

ご興味を持って頂いて一人の人生を皆さんと共有出来たのなら嬉しいです。


ここから先は

2,361字

¥ 500

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?