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ぼっちじゃないヒロシ

静岡の片田舎に住み始めて30年。ここ数年で、ようやく地元の人たちと幅広いお付き合いをするようになった。
その時に感じた最初の違和感は、たいがいの人が苗字みょうじでなく、下の名前で呼び合う事である。
しかもお互い「ヒロシちゃん」「サダシくん」などと語尾につける。単に友達というだけでなく、生まれたときからのご近所付き合いがあるからなんだろうと思っていた。

僕は(たいがいの人がそうであるように)苗字に「さん」づけしか使ったことがない。さすがに「ヒロシちゃん」はないにしても、「ヒロシさん」と名前で呼ぶことに心理的な抵抗がある。

ところが集会などに顔を出すと、数10人の名簿に連なる大半は「天野」「いぬい」「山田」「望月」のいずれかであって、「天野さん」というだけではどちらの「天野さん」かわからない。名前呼びになるのには、もっともな理由があったわけだ。

さらに複雑(シンプル?)なのは、下の名前が同じ人も複数名いて、「山田ヒロシ」がいれば「天野ヒロシ」「望月ヒロシ」もいる。
お付き合いするのは僕より年長の人が多いし、当時の親は我が子にった名前などつけたりしない。それでも漢字にすると「ひろし」「ひろし」「比呂志ひろし」「宙志ひろし」などとバラエティー豊かになるのだが、耳で聴き分けるのは不可能である。
そこでどうなるかといえば、「ヒロシちゃん」「ヒロシくん」「ヒロっちゃん」などと、おそらくは無意識のうちに呼び方が使い分けられていたりする。

今では僕も名前呼びに馴染んではいるが、さすがに「ちゃん」づけは無理なので、語尾は一律「さん」である。
そこは田舎のこと、いろいろ役が回ってくるので「自治会長」のヒロシさん、「消防」のヒロシさん、「報徳会(そういう長い歴史の会がある)」のヒロシさんといった使い分けも可能である。
我々の地区は13班に分かれているから、ちゃんと区分けを理解した上でなら、○○班のヒロシさんといった呼び方も有効だ。

面白いのは(といったら不謹慎だが)地元のかたが亡くなった時で、これは短命で亡くなる人がほとんどいないためかもしれないが、どの家もあまり悲嘆にくれている雰囲気がない。
故人の自宅へ弔問ちょうもんに訪れる人も、「順番が来たね」くらいな受け止めである。
ことさら仰々ぎょうぎょうしく、形ばかりの「このたびはご愁傷様でございました」的な態度はとらず、故人のお顔を拝見すると一礼して、無言のまま引き上げる。あまりにもあっさりしていて、淡泊に感じるくらいだ。

ここにいると、歴史の連続性を感じずにいられない。この地に生まれ、この地に育ち、この地で子孫を残し、この地で一生を終える。
そうやって何代も繰り返されてきた営みから、人の死は人生一度きりの「個人の死」ではなく、この地に存在する(存在した)人々の通過儀礼に過ぎないのだと感じるようになる。
やることをやって、その時が来たら次に繋いでこの世を去る。
自分が過去より未来へと続く途切れない歴史の一部であり、切り離された「個」としての生ではないのだという、一種の安心感につながる。

個人の死を迎えようと「ヒロシ」という連続性は消滅せず、あのときの「ヒロシ」はその後も続いていくのだ。
そう思えば、誰の身にも必ず訪れる「死」が、それほど怖いものと思わず過ごせるようになるのかもしれない。

イラスト hanami AI魔術師の弟子

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