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個人的音楽遍歴(小学生まで)

ビートルズの実質的な解散が1969年。僕が小学2年生の頃だ。
それから数年後、友達の家に遊びに行ったとき、彼の兄貴がかけていたレコードが『レット・イット・ビー』と、カーペンターズの『イエスタデイ・ワンスモア』だった。

それまでも、父親が買ってくる8トラックの影響から、小学4年生あたりで洋楽には馴染んでいた。
パット・ブーン、フランク・シナトラ、トニー・ベネット。結構、ませガキである。

テレビで放送されるマカロニ・ウエスタンのテーマ曲がカッコよくて、『夕日のガンマン』や『荒野の用心棒』の入ったLPレコードを祖母に買ってもらった。
そこからフランキー・レイン『OK牧場の決闘』、ブラザース・フォア『遙かなるアラモ』、ディミトリ・ティオムキン『真昼の決闘』など西部劇の映画音楽にハマっていく。
ペギー・リーの「ジャニー・ギター」も、このとき知った。いま聴き返してみても、なんちゅうエエ歌だろうと思う。載せちゃおうかな。

『明日に向って撃て!』のリバイバル上映予告を深夜番組でやっていて、自分で買った最初のシングルはB・J・トーマスの『雨にぬれても』だ。
それこそ1日何10回と聴くうちに、でたらめ英語で細かいフレーズまで覚えてしまった。
続いて、アンディ・ウィリアムス『ゴッドファーザーの愛のテーマ』。
映画を観たのはずいぶん後で、何しろビデオなんてまだ普及していない少年時代、テーマ曲ばかりを聴き漁っていた。

ホラー映画『エクソシスト』、パニック映画の『タワーリング・インフェルノ』と、小学5年生頃に封切られたものを、親に連れて行ってもらった。どちらも今観て、傑作と思う。
後者の、モーリン・マクガヴァンが歌う『愛のテーマ』も聴き倒したが、なんといっても『エクソシスト』の『チューブラー・ベルズ』(マイク・オールドフィールド)は強烈だった。
プログレを聴く下地は、この曲で作られたと言っていい。つーか、ライヒもグラスも、これ聴いとけば予習は完璧でないかい。

ビートルズやカーペンターズの音はどうもそれらとは様相が異なり、ロックなんて大人っぽいというか、ナウい感じで背伸びするように聴き始めた。小学生の終わりごろ。LPを買う金はなく、シングル盤である。

『イエスタデイ・ワンスモア』は終わり方が好きじゃないと友人の兄貴がいうのを聞き、レコードにはフェイドアウトという手法があるのを知った。
そうやって改めて聴くと、自分の持っているレコードもフェイドアウトで終わるものが多い。ただ、なぜ好きになれないのかは、当時まるでわからなかった。
ちなみに『イエスタデイ・ワンスモア』は、リアルタイムでの音楽体験になる。当時の歌謡曲に多かった煽情せんじょう的な響きはまるでなく、乾いた音のようで情緒もしっかりとある、今も色褪せないスタンダードナンバーだ。

音楽で一番幼い頃の記憶にあるものは、ザ・タイガース『君だけに愛を』になる。
「君だけ~に~」を何度も僕が繰り返すので買ったと父親は言っていたが、自分が聴きたかったからじゃなかろうか。
1968年1月5日のリリースとあって、僕で幼稚園の年長にあたるのか。実にサイケなサウンドで、初期のレッド・ツェッペリンのテイストもあるような。
作曲・編曲はすぎやまこういち先生だったんか。

時系列だと、その後にピンキーとキラーズ『恋の季節』(1968年7月20日)となる。こちらはボサノヴァ調のグルーヴィな前奏で、オリコンチャート17週1位の記録は、いまだもって破られていないという。
岩谷時子の歌詞が、実にきわどい。こっちは幼児だから、何も知らんと喜んで聴いていたが。

記憶は定かでないが、ディズニー・アニメ『白雪姫』の日本語サントラ盤を聴いたのも、この当時だった気がする。
チャイコフスキーの原曲アレンジを、当時は名前も知らない小鳩くるみが歌っていた。あのメロディとあの歌唱に、幼心おさなごころはとろけちゃったんだよなぁ。
大人になってから知った小鳩くるみの歌う童謡・唱歌は、我が人生における心の財産である。

けっこう当時の原初体験が、今も自分の嗜好性に大きな影響を与えているのを実感させられる。

イラスト hanami🛸|ω・)و


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