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戦後の総括

半世紀も前になるが、『ぶらり信兵衛しんべえ -道場破り-』というテレビ時代劇が放送されていた。

十六店じゅうろくだなと呼ばれる長屋に、松村信兵衛を名乗る浪人が住んでいる。素性すじょうは知れず、さむらい社会に愛想を尽かしているのか、仕官の道を探る気配もない。
腰に差しているのは竹光で、お人好しな性格から長屋の住民に慕われているものの、少々頼りなくも思われている。

信兵衛さん、実は神道無念流の達人である。
長屋の連中が金銭がらみのトラブルに巻き込まれると、取手呉兵衛とってくれべえを名乗り(最後は道場主に負ける代わり謝礼をもらう)仕込みの道場破りで金を工面する人情話だ。

原作は、山本周五郎の『人情裏長屋』。内容はこんな感じ。
信兵衛の長屋に越して来た子連れの浪人。信兵衛が当座の家賃を工面してやるが、「世に出たら迎えに来る」と書き残し、乳呑み児を置いて消えてしまう。
信兵衛は薄情な親といきどおりながら、幼い鶴之助を放ってはおけず、彼を慕う近所のおぶんらと世話をし始め、やがて育児に励む様になる。
世話をすればするほど赤子が愛おしくなり、信兵衛は並みの親以上の愛情をこの子に注ぐ。こうして”鶴坊”は、すくすくと成長していくのだった。
今や名実ともに鶴之助の父となった信兵衛だったが、ある日、仕官の道が開けた本当の父親が戻ってくるのだ。

ネタばれになるためこれ以上はやめておくが、個人的には一番弱いところを刺激してやまない短編である。こういう物語を、学校で教えてもらいたい。
現在の日本衰退すいたいの要因は数多あまたあげられようが、僕の世代を含め人間としての骨格を形成する情操教育が、あまりにないがしろにされてきた気がするのだ。

まだ僕の時代の学校教員であれば、戦争を経験した世代だったわけだ。それにしたっていま思い返しても、「師」と仰げるような存在はいない。
高校になると仲の良い教師に巡り会えたが、「師」というよりは(失礼ながら)友達に近かった。それはそれで、いつか機会があれば記してみたい。

小学3年時の担任などはモロ左翼活動家で、三里塚闘争のビラを配るなどして懲戒免職になっている。
コイツ(敢えてそう呼ぶ)の恐怖支配は強烈で、ひとり生贄いけにえをこしらえてはクラス全員にビンタをさせるという、あさま山荘事件の永田洋子ながたひろこそのままの”総括”を、小学校で行っていた。
この事実が発覚しなかったのは、あたかもも子供たちをリンチの主犯・共犯の立場に置くことで、口外こうがいしにくい環境を作っていたからに他ならない。
クビになって当然の人間だが、もう少しその時期が早ければ、僕らが被害にうこともなかったろう。
極左きょくさのやり口は暴力の肯定化にあることを、10歳に満たない子供が身をもって体験し、実感を抱かされたわけである。

なぜ、こうしたいびつな教師は生まれてきたのか。
端的に言って、情操じょうそうよりも思想や理念が価値あるものと、勘違いされる時代になっていたからかもしれない。
ところが現代に近づくほどその価値基準はより徹底され、わかりやすい定義(金・モノ・主観)だけが幅をかせる世の中になっていく。

情操のように漠然とした、いくつかの感情が複合した状態にある定義しがたい概念よりも、思想や理念であれば、自身の中でコレっ!と定義づけることは容易である。
そのとき個人の「正義」は一つしか存在せず、自己が肯定した考え以外は全て間違いであり、「悪」となるのだ。
悪であれば否定し、排除しなければならないという論理の帰結になっていく。

曖昧なものを曖昧なままに、複雑に交じり合って分離不能な心の動きを、大切に育てる。
論理より大事なはずの倫理りんりの教育をおこたり、白か黒か、0か100かの乱暴な二元論にしていった成れの果てが、今の日本の在りようと言えないか。

例によってわき道に逸れた。なんでほのぼの信兵衛さんの話題から、新左翼思想に飛ばなアカンねん。
明日、修正を加えながら続ける。

イラスト hanami🛸|ω・)و

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