見出し画像

隕石に当たって死にたい

宇宙について書かれた文章を読んだ。
光の少ないところで星を見上げる機会があった。

宇宙について詳しい訳では無いし大した知識も持っていない、学校で習ったものぐらいしか覚えていない。
でも星を眺めるのは好きだ。いつかのクリスマスプレゼントでもらった望遠鏡で星や月を見るのが好きだ。

夜空には言語化できない魅力がある。悩んでいる時に星を見上げると、自分のことを考えずに済む。

昔から漠然とした希死念慮がある。中学に入ったぐらいからだろう、はっきりとしたきっかけがある。
小学校の頃私は端的に言って頭が良かった。幼少期から頭が良かったし中学受験の塾にも通っていて偏差値を見ればかなり全国的にもトップだった。だから私は自分は頭が良いと思っていた。中学受験に成功しそれなりに名の知れた学校に入学した。そこで私は初めて挫折した。優れていると勘違いしていた学力でもトップを取れないどころかテレビに出ている天才達のような人がゴロゴロいた。それどころか学力に加え美術、音楽、運動や発想力など私には無い才能を持った人が死ぬほど存在した。私はお山の大将だったということに気づいた時、全てがどうでも良くなった。
中高続けた部活でも挫折を味わった。長いスランプに苦しみ、本番での弱さに泣いた。どれだけ努力しても才能ある人に勝てないのだと悟らされた。

 私は弱い人間だった。自分の能力不足を痛感させられたのなら努力をして追いつこうとするべきだった。でも出来なかった。平凡な自分を嘆き才ある人を羨むだけで行動に移すことが出来なかった。

自分には才能がないだけでなく努力をすることも出来ない人間であることを思い知らされた時、死にたくなった。
消えてなくなりたい。私が私として存在している必要がない。
そう感じた。部活や勉強で追い込まれた時何度も自死を考えた。でも弱い人間だったから自ら死を選ぶ選択は出来なかった。怖かった。存在意義を見いだせないままただ惰性でこれからの人生生きていくのだと分かった時絶望した。
読書や音楽に逃げた。太宰や谷崎に救いを求めた。好きな読書なら創作能力があるのではないかと勘違いした。私の承認欲求を満たしてくれるのではないか、馬鹿げた希望を抱いた。でも創り手に回れるような能力はなかった。分かりきっていたことだった。

私には何も無い。死にたい。この感情に囚われ続けてもう何年経つだろう。そして今後も囚われ続けるのだろう。それを考えただけで今後の人生に楽しみを見い出せなくなる。
自分で死ぬ勇気はない。かといって人生を有意義なものにできる自信もない。不可抗力によって死にたい。
そんな時大抵夜空を見上げている。今!隕石が私に目掛けて降ってきたら、避けることの出来ない運命によって私はこの世界からいなくなることが出来る。満たされない承認欲求を抱えて生きていく必要が無くなる。なんて素晴らしいのだろう。隕石に当たって死にたい、そう考えると少し楽になることに気づいた。
肥大化していく承認欲求と絶望感にもうこれ以上苦しみたくない。自ら死を選ぶことは怖くて出来ない。現状を改善するための努力をするにはもう気力もない。今の私に残された微かな希望こそ隕石に当たって死ぬことなのだ。早くこの方法で死にたい。楽になりたい。解放されたい。救って欲しい。私の肥大化したプライドと承認欲求を身体ごと打ち砕いて欲しい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?