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【エッセイ】五千円札とラーメンの話

寒波が来る。不要不急の外出は避けるよにと報道がされている。私も「不要不急の外出」の予定がキャンセルになった。

京都へ旅行に行く予定だったのだ。多くの人はとって、楽しみにしていた予定がキャンセルになって残念だという気持ちになるだろう。

だが、私にとってはそれだけではなかった。

数年前に精神を患って以来、旅に出るということにはかなりの覚悟を必要とするようになったからだ。

過去の恥を晒すと、薬を飲んで、体調を整えて乗ったはずの新幹線で倒れたことも、電車で過呼吸を起こして、駅員室で寝かせて頂いたこともある。


私一人のことで多くの方を巻き込んでしまった経験があるため、気軽に旅に出るなんてことはすべきでない身であった。

だが、最近は電車で過呼吸を起こしても、なんとか耐えて目的駅まで乗れるようになったことや、薬を強いものに変えたことなんかから、挑戦してみようと一大決心をしたところだったのだ。

行かなくて済むという安堵なんかより、決心が空振ってしまった虚しさばかりが胸をしめた。万が一が起きた際のことも考えると一人旅するのは難しく、姉についてきてもらう予定だったが、中々に予定が合わないため、リベンジは当面叶わないだろう。

事前に「何食べようか」などと盛り上がっていたからこそ余計に虚しく感じた。


旅行はキャンセルになったが、新幹線の切符は既に発行してしまっていたため、旅行会社の指示でみどりの窓口で切符に取り消し証明印をもらいにいく必要があった。

それを旅行会社に送り、確認がとれた上で、返金頂けるらしい。


駅に向かい、そのまま郵便局で切符を郵送した帰り道、なんだかすぐに家に帰るのが嫌だった。

「少し気分転換を」などと考えて、ふらふら歩いていた所に、1軒ラーメン屋さんがあった。


まだ、営業として働いていた頃、家に帰りたくない時によく立ち寄っていた店だった。

魚介ベースの醤油ラーメン。コクがあるのにしつこくないから飽きのこない。奇をてらわない。素朴な美味しさのあるラーメンだった。


大きさは3種類あるが、1番小さなサイズでも成人がお腹いっぱいになれる量の多さと1杯680円という価格(この値上げラッシュの中で価格据え置きのままでいてくださる貴重な店だ)、いつも変わらない美味しさは誰にでもおすすめできるが、誰にも知られたくないようなお店だった。(食べログ評価も高く、地元ではそこそこ有名店なのでそんな思いは無駄でしかないのだが)


久々に入ってみようと入口まで行くと、入口の券売機前で、女性が何やら考え込んでいた。私より年上の方だった。メニューの説明書きを読んだり、券売機のボタンをみたりしていたので、「注文を悩んでいるのかな」などとぼんやり考えながら、後ろに並んだ。


そこで女性が店主に「すみません。五千円札は使えませんか」と声をかけた。今までお札の種類なんぞ気にしたこともなかったが、後ろから覗いてみるとなるほど確かに券売機のお札の投入口の上には1000円の表記しかない。


店主一人で切り盛りされている店である。他にお客さんもいたことから両替するにも時間がかかるだろう。女性も同じことを考えたのか、私に「お先にどうぞ」と順番を譲ろうとしてくれた。

その時、ふと思い出した。私は先程寄った自動販売機で一万円が全て千円札で返ってきたことに若干うんざりした気持ちになっていなかったかと。


財布を確かめてみれば、千円札が6枚以上あるのは確かだった。

「よかったらこれと交換しましょうか。」
千円札を5枚差し出した。

女性は驚いたようであったが、すぐに「ありがとうございます。」と受け取って五千円札と交換した。


そのまま私に「メニューっておすすめありますか?」と話しかけてきた。私は一通りメニューを制覇した身であったので、「定番はこれで、チャーシューがお好きならこれが沢山のっています」などと説明をした。「炒飯は…」などと悩んでいらしたので、「美味しいですよ。私は好きです」とおすすめまでしてしまった。

それぞれが食券を買い、席についたところで(偶然にも隣同士であった)、女性にお財布のなかを見せて頂き、枚数を私に提示した上で、「1枚多くもらってましたよ」と千円札を1枚返してもらった。咄嗟に出したものだからきちんと数を数えてなかった。

「わあ、すみません。ありがとうございます。」思わず、2人で笑顔になった。


ラーメンを食べている最中、女性に「美味しいね。」声をかけられた。
私は笑顔で頷いて、またラーメンを啜った。


私の方が先に食べ終わったため、帰る準備をしながら女性に少しだけ話しかけてみた。

「炒飯、お口にあいましたか?」
「美味しいね、これ」
笑顔だった。

「嫌なことがあると、私ここに来るんです」
つい言葉に出た。彼女は
「嫌なことがあったの?」
と返してきた。

「寒波で予定がなくなってしまって…」
「じゃあ、ここで癒やされにきたんだね」
そう、返して頂き確かにさっきまでの虚しさが軽くなっていることに気がついた。
「そうですね」
笑って返した。


帰りがけに
「本当にありがとう」
と再度お礼を言ってもらえた。
「こちらこそありがとうございました。」
自然とそう答えていた。

店主へ「ご馳走さまでした」と声をかけ、丼を下げると店をでた。かつてと同じのように店主の「ありがとうございました」という声が背中にかけられた。

私の気持ちが軽くなったのはきっとここのラーメンと彼女のお陰だった。

自意識過剰なようだが、私のした両替の申し出は所謂「親切」なのだろう。だが、これは相手の受け取り方でお節介にもなり得るものだ。


彼女がもし「店主がいま両替してくれるので」などと断りを入れていたら、私はただの余計なお世話をした人間でしかなかった。

彼女が「ありがとうございます」と受け入れて下さったことで、親切をした人間にして頂けた。


前述したように、自身の問題で見ず知らずの方に沢山、親切にして頂いた身としては、困っている方がいたら自分も、と思ってはいた。

電車が止まり、混雑した駅のホームで蹲っていた人に声をかけたことがある。
「大丈夫ですか?駅員さん呼んできましょうか」
その人は迷惑そうな顔をして無言のまま立ち上がり、移動していった。

その時の私の行動は余計なお世話でしかなかったのだろう。
今日の女性も私の申し出を突っぱねることなど簡単であった。それも、外聞が悪くないようにである。


それでも受け入れて頂けたこと、感謝して下さったこと、こちらの方が感謝したい気持ちでいっぱいになった。私の行動を余計なお世話から「親切」にして下さったのだ。


小さな決心が空振ってしまった虚しさを1杯680円のラーメンと女性とのささやかな会話にうめて頂いた。

店主と恐らく二度と会うことがないであろう女性へ感謝を感じつつ、人との向き合い方を改めて考えたそんな夜であった。

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