杉山浩司
記事一覧
京都シルバーガイドクラブ「智和輪」テキスト
弘法大師のおくりなで知られる空海は、平安時代初期に活躍した僧である。空海は唐で広まっていた新しい仏教を学ぶために、最澄とともに唐へ渡って修行し、帰国後に真言宗を興した。空海ゆかりの霊場は、四国八十八ヵ所をはじめ全国に存在し、現在も多くの人が巡礼している。仏教以外にも、様々な分野で才能を発揮した空海は、社会事業でも後世につながる数々の実績を残し、また書道の名人としても著名である。
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「HSP」とは、「感受性が極めて強い、繊細な人」のことを指す。HSPの人は、他人の感情を敏感に察したり周囲の環境が気になったりするなど、細かいことが気になるため、生活をする上で精神的なストレスを抱えやすくなってしまう。また、人混みや騒音、眩しい光が苦手な傾向がある。デメリットばかりに思われるかもしれないが、HSPの人は、人の気持ちを汲んで行動をしたり、日常の中で多くの感動を発見したりすることができ
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「革命」と「クーデター」はその性格が大きく異なる。両者の最大の違いは、社会・政治のシステムが変わるかどうかにある。革命は、主義主張に基づいた理想的な社会を描き、それを実現するために立ち上がった人々が大義名分を持って社会に変革をもたらすことである。例としてフランス革命、ロシア革命などが挙げられる。一方クーデターとは、暴力的な手段を用いて非合法的に既存の権力を奪い、大きな政治的変動をもたらす可能性のあ
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嵯峨天皇(786年~842年。第52代天皇。桓武天皇の第2皇子)即位の翌年の810年、前帝の平城天皇が寵妃・藤原薬子やその兄・藤原仲成とともに企てた謀叛(薬子の乱)を平定し、律令政治の改革を行った。空海が唐から密教を持ち帰ってから、嵯峨天皇は、伝教大師最澄よりも空海を重んじるようになり、真言宗が次第に重用されるようになった。
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「無垢」は、一般的には、まじり気や濁りがなく清浄であること、の意であるが、もとは一切の煩悩から離れた識(意識)を言う仏教語である。煩悩とは、仏教において貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)、すなわち貪りの心・怒りの心・ものの道理を理解しない愚かな心を始めとする種々の妄念を言うが、生身の人間がこれらの煩悩から完全に解き放たれることは難しい。必然的に、無垢あるいは無垢識は仏の境地を表現する言
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「美学」とは何を学ぶ学問か。人は価値のあるものとして、真実であること、善良であること、美しくきれいであることの三つを好み、尊敬し、愛する。真実について学ぶのが、哲学、論理学であり、善良であることについて学ぶのが倫理学であり、美しいこととは何であるか、芸術とは何であるかを考え、たずねていくことが美学である。
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釈迦は「殺生」をしてはならないことについて、3通り教えた。1つ目は 自殺、2つ目は他殺、3つ目は随喜同業。自殺とは、首を吊って死ぬような、自ら命を絶つことではなくて、自分が直接生き物を殺すことである。他殺とは、自分は直接殺さなくても、他人に命じて殺させる殺生を他殺という。随喜同業とは、他人が殺生しているのを見て楽しむ心があれば同じ殺生罪になる。台所にゴキブリが出ると、奥さんが、「殺して」と言って、
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「偏屈」な人に共通する特徴。(1)人の好意を素直に受け取れない。(2)嫌味が多い。(3)人の話を聞かない。(4)見下すような態度を取る。(5)協調性が無い。「偏屈」になってしまう原因・心理。(1)自信が無いのを隠している。(2)優越感を抱きたい。(3)周りを信用していない。(4)本音を知られたくない。(5)構ってほしい。
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後嵯峨天皇は4歳の息子を後深草天皇として即位させ、譲位してしまう。さらに後深草天皇を譲位させ、弟・亀山天皇を即位。後深草天皇に子がいるにもかかわらず、その後継に亀山天皇の2歳の子を即位させたため、後深草天皇は不満を抱えることとなった。後嵯峨上皇は、利発だった亀山を好み、亀山の系統を直系としたのである。ところが、御嵯峨上皇が後継者を決定せず幕府に一任して崩御したことから天皇の家系がふたつに分裂。後深
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大河内傳次郎は、大正・昭和期の俳優。戦前から活躍した時代劇スターである。特に、当たり役の「丹下左膳」の名せりふ、「シェーハタンゲ、ナハシャゼン(姓は丹下、名は左膳)」は多くの芸人に物まねされるなどあまりにも有名。伊藤大輔監督に見出され、『長恨』、『忠次旅日記』に相次いで主演する。その風格は他の追随を許さず、トップスターに登りつめる。その後も山中貞雄やマキノ雅弘らと組み、次々とヒットを飛ばす。往時は
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法然は、現代の日本でも多くの信者がいる浄土宗の開祖である。念仏を唱えることで救われるという「専修念仏」の教えを説き、民衆に広く支持された。学識も高く、庶民だけでなく貴族や武士、天皇までもが法然に心酔した。しかしその人生は生易しいものではなく、苦難の連続であった。幼い頃に父を殺害されるが、当時の世の中では異例とも言える仇討ちを戒める遺言を受け取った。この遺言と、父が死の間際に唱えた念仏が法然の人生を
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