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秋宵

 秋も深まり、吹く風に肌寒さを感じるようになった。今日もまた、いつもの川沿いを散策する。
 最近、少し歩くペースを速くしてみた。
 景色を眺め、水辺の生き物や川面に見える魚影を見ながら、ゆったりと歩くのも好きだったのだけど、運動不足の解消も兼ねて背筋を伸ばし、胸を張って腰から歩くようになった。
 歩きながら肩を回してみたり、胸を出し入れしてみたり、いろいろな動きを取り混ぜているので、誰かに見られたら少し恥ずかしい。
 対岸を走るクルマのドライバーからは見えているのだろうから、それほど気にしてはいないのだけど、やっぱり誰かとすれ違ったりするときは動きが止まる。

夕暮れに浮かぶ雲がきれいだ

 それにしても今日はすれ違う人が少し多かったような気がする。ちょうど遊歩道のようになっているので、習慣的に歩いている人も多いのだとは思うが、今までは時間帯が違っていたのか、あまり他の人が歩いている場面に会うことが少なかった。それが今日はウォーキングしている人、数名とすれ違った。ジャージ姿だったりするので、おそらくはいつも歩いていた人たちなのだろう。その人によって、歩き方や歩くペースはいろいろだ。

川面への反射が郷愁を誘う

 田舎はクルマ社会なので、だいたいどこに行くにもクルマで出かける。ひょっとすると100メートル先のコンビニに行くのもクルマに乗って行ったりする。歩いている人はあまり見かけない。特に大人は。
 歩いているのは小学生か、イヌの散歩をしてる人ぐらい。中高生は歩きと自転車が半々ぐらいな感じ。今日はちょうど下校時刻に当たったのか、中高生の姿もよく見かけた。なんとなく若さに嫉妬というか、郷愁を感じてしまうのは歳を取った証拠だろうな。自分には絶対に取り戻せない「時間の壁」みたいなものがある。

鉄橋の下から見た景色
空と川の間に浮かぶ建物が面白い


 今思うと、自分にとって一番充実していたのは30代のような気がする。10代は世間知らずで子ども過ぎていたし、20代は若さと体力はあったけど経験値不足、30代が一番バランスの取れていた時期だったのかなと思うのだ。思い出す記憶も30代の頃のことが多い。結婚して子どもが産まれて、子どもの成長と共に過ごした時期だったから、そのせいなのかもしれない。

昼と夜の境目

 秋が深まってきて、水辺には夏には見られなかった鴨が増えてきた。きっと渡り鳥なのだろう。そういえば冬も近い。白鳥の鳴き声も聞こえるようになった。
 思えば人生も折り返しを迎えて久しい。自分の人生が折り返したことを意識したのは、父が病に倒れた年齢を越えたときだった。あのときはその年齢を健康で迎えられることに感謝していたのだが、なかなかそう上手くはいかなかったようで、自分には自分の人生の山があったのだと、その後に自覚した。
 幸運にも繋がってくれた命をありがたく思いつつ、同じように繰り返してきたとばかり思っていた季節も、あと何回繰り返せるのだろうか?と自問自答を繰り返す秋の宵。

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