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「トラ・トラ・トラ ワレ奇襲ニ成功セリ」エピソード4 愛は憎しみを越えて

1952年。アメリカ、ワシントン州ブレマートマン軍港のユース・フォア・クライストの集会で、300人を超える会衆を前に話終わった淵田氏の前に、母子が現れました。

「淵田さま、私の息子に祈ってやっていただけませんか!」突然の申し出に戸惑う淵田氏、

 「私の夫は海軍大尉で、淵田さまが11年前に真珠湾攻撃なさいましたとき戦艦アリゾナの砲台長でした。この子が生まれた時、私の夫はアリゾナとともに永遠に消えて失ったのでした。」
淵田氏は胸をつかれました。
「この思い出は私には辛いことでした。私はアリゾナを爆撃した日本軍を恨んできました。しかし私の夫もクリスチャンでした。そして今日、あなたの話を聞き、神様のみわざの奇しさに、震えがとまりません。この子は父を知りません。物心をつくようになって父の死を知っても、そのことの故にかたくなになって、どのように私が導いても、教主イエス・キリストを信じようといたしません。」会衆一同、
粛として声を呑みました。淵田氏は、意を決し、会衆一同をかえりみて、「この子のために一緒に祈っていただけませんか」そう促し、子供の頭に手をおいて熱い祈りを捧げた「父よ、彼らを赦し給え。その為す処を知らざればなり」

それから10年後、ウエストポイント(米陸軍士官学校)での集会の時でした。20人くらいの陸軍士官学校の生徒が現れ、リーダーの青年が、近づいてきて言いました。「淵田さん、私を憶えていらっしゃいますか?」淵田氏は驚いて眺めますが、見覚えは有りません。

「そうでしょうね。10年も前のことです。私はブレマートン軍港で祈って戴いたあのときの少年ですよ!」

おお、淵田氏は感嘆に似た声をあげました。

「そうか、大きくなったもんだなぁ」青年は、あの日以来、祈りに支えられ立派なクリスチャンとして育ったのでした。陸軍士官学校に入ってから、聖歌隊を組織し自らが指揮をとっていたのでした。

淵田氏が近くの町に訪れていることを知って、応援のために仲間を連れて駆けつけてきたという次第でした。人々は、イエス・キリストの栄光を見たと噂しあったのでした。

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