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「トラ・トラ・トラ ワレ奇襲ニ成功セリ」エピソード2キリストの愛に触れる 

そのころ私は戦犯裁判の証人として、横浜の占領軍軍事法廷に喚問されていました。
被告はC級戦犯の人たちで、連合軍の捕虜を虐殺した罪に問われていたのです。戦犯裁判は、国際正義の名において人道に反した者を裁くのだと言っていましたが、私はこれを勝者が敗者に対して行う、法に名を借りた復讐であると見て、反感と憎悪で胸を燃やしていたのです。するとそこへアメリカに捕らわれていた日本軍捕虜が送還されて、浦賀に帰って来ました。

私は浦賀に出向いて、帰りついた日本軍捕虜からアメリカ側の取り扱いぶりを聞きただしました。

ところが、いろいろと話を聞き回っているうちに、あるキャンプにいた捕虜たちから次のような美しい話を聞き、心を打たれました
この人々が捕らわれていたキャンプに、いつのころからか、一人のアメリカのお嬢さんが現れるようになって、いろいろと日本軍捕虜に親切を尽くしてくれるのです。

まず病人への看護から始まりました。

やがて二週間たち、三週間と経過しても、このお嬢さんのサービスには一点の邪意も認められなかったのです。

やがて全員はしだいに心を打たれて、「お嬢さん、どうしてそんなに親切にしてくださるのですか」と尋ねました。

お嬢さんは、初め返事をしぶっていましたが、皆があまり問いつめるので、やがて返事をなさいました。

その返事はなんと意外でした。

「私の両親が日本軍隊によって殺されましたから」両親が日本軍隊によって殺されたから日本軍捕虜に親切にしてやるというのでは、話は逆です。

「詳しく聞かせてくれ」と私は膝(ひざ)を乗り出しました。

話はこうでした。このお嬢さんの両親は宣教師で、フィリピンにいました。日本がフィリピンを占領したので、難を避けて山中に隠れていました。

やがて三年、アメリカ軍の逆上陸となって、日本軍は山中に追い込まれて来ました。

そしてある日、その隠れ家が発見されて、日本軍は、この両親をスパイだと言って斬(き)るというのです。


「私たちはスパイではない。だがどうしても斬るというのなら仕方がない。せめて死ぬ支度をしたいから三十分の猶予(ゆうよ)をください」そして与えられた三十分に、聖書を読み、神に祈って斬(ざん)につきました。

やがて、事の次第はアメリカで留守を守っていたお嬢さんのもとに伝えられました。

お嬢さんは悲しみと憤(いきどお)りのため、眼は涙でいっぱいであったに違いありません。

父や母がなぜ斬られなければならなかったのか。

無法にして呪わしい日本軍隊、憎しみと怒りに胸は張り裂ける思いであったでしょう。

だが静かな夜がお嬢さんを訪れたとき、両親が殺される前の三十分、その祈りは何であったかをお嬢さんは思いました。するとお嬢さんの気持ちは憎悪から人類愛へ転向したというのです。

私はその美しい話を聞きましたが、まだよく分かっていなかったのです。

『真珠湾からゴルゴダへ、わたしはこうしてキリスト者になった』ともしび社より

ルカによる福音書 23:34 口語訳‬
そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。


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