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この戦争は、どう始まったか -ホルボノース一家(5)-ルカシフカ村
( 4,027 文字)
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イリーナさん
イリーナさんに彼らの名前を憶えているか聞いてみた
「もちろんです(笑)
生きている限り、忘れることはありません
ザキール、アレクセイ、ユラ、ニコライ、ロマンアレクセイだけが31歳、他の人は40歳以上です
シリアやアフガニスタンで戦った人もいました
当初、彼らは私たちが言語を理由に差別されていると言い続けていました
私は『それで、私は貴方と何語で話しているの?』と言いました」
「ナチスの話もしました
少しづつ、私たちはフランクになったんです
お互いの国、政治、戦争について話しました
私は聞きました
『あなたは貴方の好きな場所に行けばいい、でもどうして私たちも行かなければならないの?
この戦争の1日に使うお金で、あなたの村を再建したほうがいいでしょう?
あなたの家にはトイレがないんですか!?』
すると、『そういうこともあるだろう。あなたの言う事も分かる』と言ってました
そして数日後に『酷いことをしてしまって申し訳ない』と謝られました
ザキールとニコライはお金を送ると約束しました
『こんなクソ戦争は誰も必要としない、私は戻ったら辞職報告をする。なぜ、これほどまでに人々に迷惑をかけたのか。あのプーチンを自分で撃ちたい。』
彼らは去り際に『また会えるかな』と言いました
私は『悪夢でしか会えない』と言いました
一人から『わたしたちは友達になったかな?』と聞かれました」
そこで初めて彼女の声のトーンが高くなった
「なぜ?どうやったら友達になれると言うの?あんなことをしておいて!」
数日の間、ロシア兵たちは車を放置し、防弾チョッキも着ずに寝ていたという
「彼らを殺したいと思っていたが、そうすればみんなが代償を払うことになる
そこらじゅうに、どの家にもどの家にも、ラシストがいたのです
一個師団が駐留していました
村に280両の軍用車両がありました」
ホルボノースの地下室は、ある日、産院になった
食べ物を調理するストーブがあって最も暖かいホルボノースの地下室で隣人のアーニャが出産することになったからだ
「3月23日でした
出産には、私たちの看護師、ロシア人の医師と看護師が付き添いました
彼らはたくさんの薬を持ってきました
私たちも、私たちの間借り人たちも外に出ました
女の子のビクトリアが生まれました
その後、彼女の両親は、まだガスを使う事の出来た村の反対側に引っ越しました
私はとても幸せな気持ちになれて、それが何より重要なことでした」
「砲撃の間、もっと自分を地下室より深く埋めて欲しかった
地下室で私は知っている祈りと知らない祈り(注:おそらく、ロシア兵に対する呪いを婉曲に表現しているのではないだろうか)を唱えました
『神様、私たちをお守りください、でも、責めないでください』
彼女は不機嫌な少女の顔になった
「何が悲しいかって、 ベランダに出て外を眺めると、木の冠がキツネのように見えたんです
鼻先、しっぽ、耳、『こんにちは、子ぎつね!』って」
今はもう、木は裂け、狐には見えない
蔦の絡まる見晴台の近くで鶏が鳴いている
今は見晴らし台が鶏小屋になっている
占拠後、彼女は5羽の鶏と1羽のヒヨコが生き残っていることを発見した
どこに隠れていたかは分からないが、いろいろな場所で卵を見つけたそうです
「夫は、何かのために手を動かすんじゃなくて、動かさざるを得ないと言うんです
ジャガイモとビーツを植えました
鶏がいるのでトウモロコシもエサのためにいくらか必要です」
「ロシア人がいなくなってから、庭に出て、心の底から泣きました
それまで泣かなかったのに、家が燃えているときでさえ、すべてが夢のようでした
誰かに『村を出て行く』と言われて、『どこへ行くの?』と私は聞きました
ここにあるのはすべて自分ものなのに、意味が分からない
そして、ダーチャの収穫が必要なのに、冬は誰が養ってくれるのでしょう?
すべて盗まれ、燃やされました
地下室に残っているわずかな毛布も、私たちがここを去るなら、無くなってしまう
少しずつですが、何かをやっています
私たちは警察や救急隊に調書を書き、地域の委員会が来て、SBUがドローンで写真を撮って、すべてを説明しました
でも、建築委員会が来るまでは何も手を出すなと言われています
窓が落ちたり、屋根が傷んだりしてるだけなら、よかったのです
何も待たず、自分たちで片づけていたはずです」
「仮設住宅を建てるつもりです
少なくとも、ずっと隣の家に住むわけではありませんから
国からの援助がなければ、自分たちだけでは家を引き払えません」
復活教会
「復活教会は破壊され、中にはレンガが積み上げられ、屋根に穴が開いています
あちこちに焼けただれたロシア軍の装備があります
砲弾の箱、撃たれた残骸、シチューの焼けた缶、焦げたパン、衣服、乾燥配給品の焼けた包み紙、「モスクワ・エリート」のマヨネーズのパッケージ、小銃や大口径兵器の使用済み砲弾など
ロシアのあらゆるものが凝縮され、どこに足を踏み入れるべきか考えなければならないほどです
背の高い茂みは死体の臭いがします
私たちの間では、ロシア人の臭いだと冗談を言っています」
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後に、地元の人たちは、それは牛の皮の臭いだと話すようになる
侵略者たちは教会でバーベキューをしていたのだ
(注:牛の皮などをその辺に捨てていたとういことだろう)
この教会は、ロシア軍の司令部になっていた
ロシア兵たちはここに住み、戦利品をこの場所に引きずってきた
誰が何を手に入れるかと言い争う声を村人たちが聞いている
弾薬もここに保管されていた
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自転車に乗った70代の女性が教会の近くで立ち止まって教えてくれた
「彼らはここで銃を撃ちまくったので、家が崩れて、粉々になるかと思いました
そこにたくさんの武器を運び、燃料トラックを置いてました
40聖人に祈りました(占領下であった3月22日は40聖人の祝日だった)
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『聖なる教会よ、その力で我々をお守りください』って」
彼女の目を大きく開いて言った
「あの倉庫で私の仲間たちが撃ち殺された!
私たちの教会も被害を受けましたが、多くの人が生き残りました
私たちは再建します
あそこは神聖な場所です...」
(解放後、この復活教会は、ロシア正教会からウクライナ正教会へと変更をするかどうかが村の大きな問題となっている。もっとも、9割以上の村の住人はウクライナ正教への変更を希望している。近日、住民投票が行われる予定だ。)
ボヤルチェンコ夫妻
ルカシフカの通りを車で走ると、家の代わりに灰があり、破壊された図書館がある
商店のドアには弾痕が残っている
何か所かで一般人の車が燃やされ、ある車はフロントガラスを撃ち抜かれていた
村の外には敵の車両が散乱している
その中には救急車両もあった
ロシア兵たちは持ち出せるものはすべて持ち出した
空箱だけしか残っていない
緑の麦畑の中、3台の軍用トラックが地平線に沿って並んでいる
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通りの、広場から最も離れた場所まで来た
ここでは珍しく、無傷の家屋と塀を見かけた
80歳のハリーナとヴォロディミル・ボヤルチェンコは、エメラルド色に塗られた木造の家の近くで鶏の放牧をしている
「私たちもいくらか被害がありました
フェンスを9メートルも倒され、板を抜かれましたが、もう補修しています
庭では、梨の木を折り、桜の木を根こそぎ倒されました
ロシア兵たちが中に入ってきて
『手を上げろ!』
そのとき、娘、娘婿、孫娘がいました
ロシア兵が犬の近くに向けて発砲しました
『ほら、殺したんじゃない、脅かしただけだ』
そう言って、2時間ほど庭にいて、そのあとは村の中心部のどこかへ去っていきました」
ロシア人は毎日、ボヤーチュクとその隣人の数を確認しに来た
「チーフは私たちに親切にしてくれた
ヴォロディミルが義父(元兵士)のソヴィエト帽をかぶっているのを見て、『元兵士』と呼ばれてました
ミルクとパンをくれた
心臓の調子が悪くなると、医者を呼んでくれました」
とハリーナ・ボヤルチェンコは言う
ヴォロディミル・ボヤルチェンコは言う
「酔っぱらった指揮官が来て、私たちから何か取れるものを探しに来ました
『金でも、銀でも、ドルでもいい?
『ドルは無い?』
『酒は無いのか?』
『飲みたいけど、無いんだ』
彼はそう言って笑った
それで、私は屋根裏部屋に登り、納屋で酒を探しました」
ハリーナは心を病み、家の庭から先には出られない
「 ヴォロディミルは、教会が破壊され、家が破壊されたと言うけど、私はそれを見ていないので、信じていません」
占領後、夫妻は自分たちで野菜を植えた
農業機械は無くなった
「最初は庭に行くのも怖かった
特に、何かが転がってるのを見たときは、怖くなった
そして、そのモノにロープを結び、遠くに離れてから引っ張ったのです
爆発しなかった!」
「あなた(ヴォロディミル)は私の救世主よ!」
心臓病のハリーナ・ボヤルチェンコはそう言って笑う
子羊を2匹連れた羊が草の上でジャンプしている
庭の境界線をめぐって2人の女性が争っている
1人は鎌を持って威嚇している、橋の手すりで10代の少女が携帯電話で話している
中央では親方が新しいフェンスのブロックを置いている
子供たちが壊れた車にしがみつき、屋根から飛び降りている
私たちは最後に村を一周した
ライラックが咲き、昨年植えた花壇が繁茂している
焼けた家だけが不自然な感じだ
これだけを言いたい、今すぐ邪魔な飾りが無くなればいいのに
以前のままがいい
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(終わり)
チェルニヒフ州ルカシフカ村では、ロシア人が人々を外に連れ出して銃殺し、地元の教会を軍需品倉庫に変え、住宅を焼き払った。これが「ロシアの世界」がもたらすものだ。- #Ukraine️ 軍のStratComによるビデオ。
— 文豪オットー•フォン爺 (@Otto_Eduard_Le) May 2, 2022
pic.twitter.com/pQm8Iu1SSE
Residents of Lukashivka village in Chernihiv region collect food for residents of Izyum.
— Anton Gerashchenko (@Gerashchenko_en) October 2, 2022
The locals say that volunteers helped them during and after occupation, so now it's time to pay it forward.
📹: @suspilne_news Chernihiv pic.twitter.com/Oo1WVCwVkf
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参考:
Наталія Павленко
Наталія Павленко
ボランティアによるルカシフカ村の復旧活動記事
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