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この戦争は、どう始まったか -ホルボノース一家(4)-ルカシフカ村

(4,923 文字)

イナ・ホーラックの証言

胸に大きな白いハートのついたセーターを着た51歳のイナ・ホーラック(Інна Горлач)は、大事なところから話し始めます
他の村人も彼女と同じように話をします
まず、「家が燃やされた」とか「夫を銃殺刑にした」と言い、すぐに詳細について話してくれます

イナの話はこんな風に始まりました
「従兄弟の婿がいなければ、コスチャはもう殺されていただろう」
コスチャ(コスチャンチン Костянтин)はイナの夫です
「その日、ロシア軍が村に入ってきたのは、コスチャが仕事に行ってるときでした
コスチャは、ロシア軍の車両の通った瓦礫の中を通ったけれど、気づかれませんでした
ロシア人はその日すでに、日課を終えていました
家々を回って欲しいものを奪い、人を数え、誰かがいなくなったり、新しい人が現れたりしていないかを確認するのです」

「夜にコスチャは仕事から帰ってきました
その前に、カツアプ(ロシア兵に対する蔑称)たちは私たち-女性5人と2歳以下の子供3人-を地下室に避難させてくれました
私たちの地下室は小さく、セロッドキー(樽の中のニシン、日本語の「すし詰め」)で、座っていました

翌日、占領軍はコスチャンチンを見つけ、家の中を捜索しはじめた

「 私たちの作業用の迷彩柄のパンツ、長男たちのタンスの中からATO(反テロ作戦:2014~2018の分離独立過激派への対抗作戦)の勲章(軍事衝突に直接関係した軍人に授与された勲章)が見つかりました
身分証明書や制服姿の息子の写真も見られました
そして、コスチャを連れ去り、10日間何も分かりませんでした」

コスチャンチンは、ガレージで目隠しをされていた
近くには他にも拘束された人たちがいた

「クソがガレージを開けて『徴用兵はいるか?』と聞きました
スーミ出身の19歳の少年が『私は徴兵です』と名乗りました
その少年が連れ出され、マシンガンの銃声が聞こえました
そしてロシア兵たちは婿養子のサーシャに聞きました
『この男は誰だ?』
『コスチャです
ここの住人でトラック運転手です』
そしてロシア兵たちは
『一般市民とは戦わない』
と言ってコスチャたちを解放しました
教会の近くで、あの子が腕を広げて死んでいるのを見ました」

「どの家の庭にも軍事車両がありました
『Grad』だったり、『Uragan』だったりです」

BM-21  Grad
BM-27 Uragan

「ロシア兵は私たちを地下室から出るのは許しましたが、庭より外には出してくれませんでした
私たちはグリルを作って食べ物を調理しました
村の半分はガスが遮断されていました
許可を貰って外に出ましたが、そのときもとても怖かったです
あちらこちらから煙が出ていました
もう家がない人もいます」

イナがこの話をするのは初めてではなかっただろうが、みんな、熱心に聞いていた

「それに、飛行機が飛んでいると、いつも、とても怖かったです
夜遅く、ある時、村のそばに2発の爆弾が投げ込まれ、村全体が破壊されました
ええ、子供に聞かれたときも、もちろん怖かったけれど
『イナおばあちゃん、おじさんは大丈夫かな?』
『ええ、大丈夫だよ』と言いました
どう言えば彼女を怖がらせないだろうか?と考えました
それで『おじさんは戦車に乗って、隣の家の塀を倒してるんだよ』と言いました
『イナおばあちゃん、おじさんは大丈夫って言ったのに、おじさんは運転の仕方をしらないの?』 と言って、怪訝そうな目をしていました

子供が寝物語をせがまないのが逆に怖かったです
『ママ、神様へのお祈りを読んで』って
彼女はまだ4歳です
地下室で誕生日を祝いました
マーシャにケーキがない理由をどう説明したらよかったでしょうか?

カトサップ(ロシア人に対する蔑称)はあまり好きでなかったので、同情していません
撤退するとき、カトサップたちがデスナ川で溺れてよかったです」

マルシャの勇気

今、この村はどのように暮らしているのかと聞くと、全員が同時に話し始めた

「電気もガスもある、ありがたいことに仕事もある
人道的援助が届けられる
本当にありがたい、みんな親切です
パスタ、シリアル、油、砂糖、小麦粉、塩がある
衣類、毛布、枕、食器などを持ってきてくれます」

「移動商店がきてくれました!
ソーセージが200ルーブル!?
レモネード2リットル30フリヴニャ(100~150円くらい)
レーズン入りマフィンは100フリヴニャ(300~500円くらいか?)、今は160フリヴニャです」
と年配の女性が大きな声で言いました
(注:おそらく、不満があるのだろう)

フリホリー・トカチェンコが給料をいくら支払っているかは不明だ

「フリホリーは何も約束できない
今、お金はどこにもないでしょう」

彼女達は年長者であるマルシャがあまり目立ちたくないという偉業について教えてくれた
最初の戦闘が終わり、ロシア軍が入ってきたときのことだ
夕方、軍服を着た男がマルシャの家にやってきて、ウクライナ語で挨拶した
ウクライナ兵だと分かり、彼女は安心した
兵士は「ケガをした」と言った
そこで、彼を地下室に連れて行き、弾丸を取り出した
片足に深く弾が入っていたが、もう片方はそれほどでもなかった
彼女は、障害者の孫であるとカトサップたちに嘘を吐いた
それで、ロシア兵は彼に手を出さなかったという

ホルボノース一家

イリーナ・ホルボノースさん

55歳のイリーナ・ホルボノースは、フリホリー・トカチェンコの8人の従業員のうちの1人です
彼女の家は破壊され、隣人と共に暮らしている
ルカシフカの住民には彼女と同じように、親戚の家に引っ越した人、地下で暮らす人などがいた
彼女の家まで一緒に行く
途中で停車し、人道支援物資に来た車から支援物資を受け取った
10歳くらいの男の子が、食べ物の入った段ボール箱を持って必死に運んでいた

すべてのフェンスには弾丸が撃ち込まれている
イリーナさん、59歳の夫セルゲイさん、25歳の息子二キータさんの3人が住んでいた中心部の通りは、最も大きな被害を受けていた
ほとんどすべての家が破壊されている
何かの壁の跡と、どこかの煙突があるだけだ
まだ焦げ臭さが残っていた
この通りは、北極を征服したソ連の科学者パパニネッツにちなんだ、非伝統的な名前だ
(注:「非伝統的な名前」の意味する論点が分からない場合は「2016年、ウクライナの非共産化」「ウクライナ人の苦しみ -ロシア帝国の刻印」を読んでいただきたい)

イリーナはロシア語が堪能で、チェルニヒフ出身だ
父親は軍人だった
彼女は2年ほど前から家族でルカシフカに住んでいた
ここは、夫のセルゲイが共同経営する農場なのだ
セルゲイは息子と二人で地域センターで働いている


「差別主義者たち(注:もちろんロシア軍のこと)が来るとは誰も思っていなかった
夏はダーチャの住人が多くなるが、小さな村です
2月28日、銃声が聞こえ、私たちへのものだと分かりました
まだ興味本位で、撃ち合いの様子を見に行きました
まず撃ち合って、それからドーンと車が爆発しました」

ホルボーノ家の隣の家の壊れた塀に「人々は平和である」と落書きがされていた
ロシア人はどの庭でも、門からではなく、好きなところから出入りしていた
フェンスを全部壊していたからだ
イリーナの家の前には家族の車二台と友人の車一台があった
自動車はスクラップとして焼却処分されることになっている
一台の車の上でマットレスを干していた

車の上でマットレスを干している

ロシア軍が容赦なく村を砲撃し始めたとき、近隣住民たちは村で一番大きい、ホルボーノ家の地下室に泊めてほしいと頼んだという
最初は何人かだったが次第に増えていき、32名になった
そうして1週間が過ぎた
納屋の下にあり、5メートル×6メートルの広さで、奥行きがあり、天井もしっかりしていた
ジャガイモを貯蔵するシェルターだった

「子どもたちが寝れる場所を確保し、大人たちは交代で寝ていました
ロシア人は村にましたが、思い切って、あえて外に出てみました
激しく緊張しました
彼らはマシンガンを持っていて、赤い腕章を付けていて、汚れていました」
彼らに『ここから出て行ってください、ここは平和な人たちがいます』とお願いしました
彼らは『ここで何してるんだ? はい、はい、パスポートを見せてください!』
と言い、 携帯電話を取り上げられ、身体検査をされました
『この庭から出るな、左に一歩、右に一歩でも、わかりますよね。出たら撃つぞ!』
と怒鳴っていました

みんなで地下室にいると、すぐに何か大きなものが崩れる音がしました
主人が『燃えてる!』と言いました
あわててみんな外に出ました
建物は崩れ落ちるのをラシストたちが立って見ていました
多分、屋根の上に手榴弾を投げて、火事を起こしたのだろうと思います
彼らは私たちが兵士を隠していると思い、飛び出してくると思っていたのです」

イリーナが自宅の庭を案内してくれた

「ここには納屋があり、サマーキッチンがあり、鶏小屋がありました」

すべての建物の壁の跡が残っています
暖炉の中の鍋もそのままです
廃墟に生えた草の中で、ニワトリが草を食んでいる

廃墟の中に残った暖炉とその中にある鍋

戦前、ホルボノ家は4部屋あり、トイレと風呂は新しく改装され、庭があり、ガレージがあり、2階建ての納屋があり、納屋の半分はセルゲイが家具を製作する機械置場になっていた
温室や見晴らし台があり、庭の端にはフナのいる池があり、白樺が絵になるような配置で植えられていた
イリーナの案内で、家の中の部屋を見て回る
天井の代わりにテントが張られた一番小さな部屋で立ち止まる

「コーヒーテーブルと肘掛け椅子のある私の書斎があり、とても良い本、たくさんの子供向けの本がありました
家の中の書斎が3日くらい燃えていました」
イリーナは服のすそで顔を拭った
ロシア人達はここを風呂場にしたと言う

ライラックの花

私たちは庭に面したベンチに座った
そこは暖かかった
ミツバチが飛んでいて、ライラックの香りがした
色褪せた首輪の背中の丸くなった老犬、ダイムが足元でうずくまっている
ダイムは爆撃の後遺症で耳が聞こえない
ネコのミラシュカは耳に火傷をしていた

イリーナさんとダイム
ミラシュカ

「ミラシュカは死にかけていました
最初、火傷が酷くて歩くこともできなかったんです」
ミラシュカはイリーナの膝に乗り、サンドイッチをねだった

イリーナは、夫と息子と一緒に22日間、地下室でロシア人と暮らした話を始めた

「納屋の火事でみんなが散り散りになった時、私たち家族だけが地下室に戻ってきたんです
すでに5人のロシア人が入りこんで、缶詰を食べていました
彼らは『あなたは誰ですか?』と言い、
私たちが『家主です。住むところが他にありません』と言うと
『まあ、入って』と彼らは言いました」

ウクライナ軍が村を砲撃しているとき、ロシア軍は意図的にルカシフカ住民の家の近くに機器を配置した
彼らは砲撃を恐れ、村人の地下室に隠れていた
別々に暮らしていた人もいれば、ホルボーノ一家のように一緒に暮らしていた人もいた

「最初は顔を見合わせた後、何とかしてコミュニケーションを取ろうと思いました
食事に誘われ、配給品があるときに、少しもらいました
そして、『なぜ、私たちのところに来たのですか?』と聞きました
彼らは『守るため』
『誰から?
私たちは何でも持っています、いや、正しくは、以前までは持っていました
そして、村には綺麗な道路とインターネットがありました』
『プーチンの下で暮らすのが一番だ
彼が全部元通りにしてくれるだろう
ここにいたくなければ、ロシアに行って、アパートも仕事も与えてくれる
働きたくなければ小遣いが貰えるだろう』
彼らはそう言ってました
私は『なぜそんなものが必要なのか?頼んでもない』と言いました
基地外に殴られて泣いた事もありました」
そう言いながらイリーナは少し笑った

彼女は話せることは何でも話してくれた
彼女の声は弱弱しくなった
イリーナのような賢い女性には受け入れがたいものがあるのだろう

「私たちは礼儀正しくあるように努めていました
でも、彼らを憎んでいる事は彼らも分かっていました
彼らは怒って『俺たちがカディロフツィじゃなかったことに感謝しろ!
もし俺たちがカディロフツィだったらその意味が分かっただろう』と言っていました」

(つづく)

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参考:


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