遅れてきた反抗期が終わった。

父は激務だった。
帰宅するのは0時過ぎ。
5時半に帰ってきて7時に家を出たこともあった。
とにかくよく働く人だった。

平日に食卓を囲むことはなく、土日も接待ゴルフで不在がち。
我が家に父親の影はほとんどなかった。

あまりにも顔を合わさないため、幼い頃の私は、散髪に行って髪が短くなった父を知らないおじさんだと思い、大泣きしていた。

そんな父だが、家庭に無関心だったわけでない。
激務の合間を縫い、遊園地にも旅行にも連れていってくれた。
出張帰りの足で三者面談にも来てくれた。
そして、父は誰よりも努力家だった。
たまの休みも自室に籠って仕事や勉強をしていた。

私には勉強しろとか部活をやれとか、うるさいことは一切言わなかったのだが、とにかく背中で語っていた。

一般家庭に比べて、接触時間は極めて少なかったはずだが、父をとても尊敬していた。

ここ十年ほどは歳のせいもあって、昔のような激務ではなく、大分ゆとりのある生活をしている。
夕飯だって毎日一緒に食べるようになったし、土日もちゃんと家で休めるようになった。

私にとって、家庭内に父が存在することはなんだかとても不思議で、そして窮屈だった。
幼い頃の私と出来なかった会話を取り戻すかのように隙を見てはどうでもいいことで話しかけてくる。
もう大人になった私に「駅まで送ろうか?」と必ず聞いてくる。
父親がこんなに鬱陶しい存在なのだと初めて知った。

父は短気で言葉が強く、そしてとてもしつこい。

段々と父が嫌いになっていった。

数年前、当時付き合っていたパートナーを家に招いた時のことだ。
仕事に対して向上心がなく、私を幸せにするんだという気概がないと父がパートナーを怒鳴り付けた。

「こんな腑抜けたやつに娘を預けられねぇって言ってんだ」

まるでホームドラマのようだった。
別に結婚を考えているわけでもなかったので、なぜ勝手に盛り上がっているんだ?と理解できなかった。何より昭和っぽく怒鳴ったので、恥ずかしかった。やめてほしかった。

どうして父はこうなんだろうと大嫌いになりかけた。
その後色々あってパートナーとはお別れをしたこともあり、心底父が煩わしく思えた。

それからというもの、挨拶やお天気程度しか会話をしなくなった。
「送っていこうか?」
「紅茶飲むか?」
「ケーキ買ってきたぞ」
父は気にせず話しかけてきたけれど、ろくに返事もしていなかった。
声を聞くのもいやになっていった。

しかし、例の怒鳴り付け事件から大分時間が経ったので、最近はなんとなく、少しずつ、ちょっとした会話をするようになった。

つい先日、二人でお喋りをしている様子を見た母が

「お父さん、娘と話せて嬉しいって顔してるわよ。こんな穏やかで、にこやかな顔するなんて知らなかった」

と、言った。

昨日の夕飯がおいしかったとか、暑さがどうとか、本当にくだらない会話をしていたので、そんな表情が浮かんでいるはずがないと思った。
しかし、父の顔を見ると耳まで真っ赤にして、恥ずかしそうに、でも、とても嬉しそうにニッコリと笑っていた。

この瞬間、私の長かった反抗期が終わった気がした。
父が家にいるようになってから、本当に鬱陶しくて邪魔で、気配を感じるのすらいやだった。
けれど、心の片隅ではずっと尊敬していた。

激務なのに疲れた様子を子供に見せなかった父。

なんとか時間を作って家族サービスをしてくれた父。

少年のような真っ直ぐな心を持っている父。

娘のためを思ってついつい声を荒らげてしまう父。

いつまでも私を駅まで送りたい父。

私はそんな父が大好きだったのだと思い出した。

鬱陶しくてもしつこくても、短気でも、娘のパートナーを追い払っても、全ては愛情故のことだと本当はわかっていたはずなのに。
いい歳をして反抗期を引きずっていたせいで、曇ったメガネで父を見てしまっていた。

私なんかと喋るだけで嬉しい気持ちになってくれる人は、世界中どこを探しても父だけだろう。

長らく生意気な態度を取ってしまったけど、感謝の気持ちを忘れたことはなかった。

やり始めたことを途中で止めたくなった時、父ならどうするだろう?と考えてもいた。
答えはいつも「絶対に諦めないだろう」だった。

どうしようもない娘は、父親の影が薄い家庭で育ったとはいえ、ちゃんと背中を見て学んでいたようだ。

今度、二人でごはんでも行ってみようか。

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