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「サッカー」と「人生」のつながり

注:僕の哲学です。

最後だけ読めば十分です。

気になる人は最初から読んでみてね。


「?サッカーってなぁに?」
サッカーって常に流動的な競技でボールが動くごとに見える景色が変わっていき、同じ場面はほぼ存在しない。→もう既に人生と被る

ボールが足元にあってもなくても各々の選手に常に流動的な情報が流れている。ボールホルダー、オフザボールの動きをする選手、それぞれに見える景色があって、それぞれ流動的な情報が入ってくる中、最善の自己選択(プレーの選択)を求められている。

これが僕から見たサッカー観です。


「?人生ってなぁに?」
デジタルネイティブとなった現代社会。
まさに情報過多。→サッカーもそう
今やろう!と思ったこともすぐには進まない。
(今この文章書いている途中でも(PC)気が散るなり、他のことが気になるなりして一旦スマホを手に取っちゃっているんだよねぇ)

昨今では小学生もスマホを持っていたり、赤ちゃんを持つ親は公共の場で泣いている赤ちゃんにタブレットを向け、YouTubeの動画を見せてあやす。

「そんなあやし方ができる時代になったのか〜」とびっくり。
現代の赤ちゃんは親に欲求を叶えて得られる幸福感より「ネットワーク内で幸福感を得られることの方が知っている」可能性があるのです。スマホ見れば幸せホルモンがドバドバ状態ということが赤ちゃんのときから染み付くような時代になってきたということが認識もできる。

ネットが普及したことでインフルエンサーが可視化しやすくなり、憧れや夢を抱きやすくなった、そんなメリットもあります。

しかし自分らしく生きる上では自分の心が本当に思っていること、理想の自分がぼやけやすくなってしまっているように感じているのが、今の人生観


ここからは僕の頭の中にある人生のイメージ (映像) を一部共有させていただきます。

ロックバンドのライブ会場をイメージしてください。(薄暗くてスモークがかかっている会場だったらどこでもいいです) 

会場内にはスモークが充満していて、舞台が霞んでいて、好きなアーティストの顔がはっきり見えない感じの場面があったとします。

当の本人は会場の一番後ろの壁に沿って立って舞台を観ています。
舞台の上に立つ人が理想の人が(ここではアーティスト)  スモーク  (スマホ画面、ネットワーク=よくもわるくもあるもの) で見えにくくなっているイメージ。会場の一番後ろから見てみると、理想の自分に向かうためにはよくもわるくもスモークを掻き分けて前に進まないといけない。→僕なりに人生に例えてる

(これ書きながら今はなきzepp tokyoでおこなわれたRADWINPS×Mr.Childrenの対バンを生で観れた日を思い出す→ただ自慢したいだけです。すみません。)

ここまでつらつらと書いてきましたが結局何が言いたいかというと、現代社会ではネットワークの普及に伴い、理想の自分を描きにくくなっている。
もしくは見えにくくなっている。

理想があってもそれを見えにくくしてしまう情報で溢れている。そんなように私は感じます。

そんな中で自分らしく生きるためには、常に流動的なネットワークから自分に必要な情報を拾って自らの行動を自己選択していく。ライブ会場に例えるなら、スモークで覆われた舞台(理想の自分)に向かってスモークを掻き分けて近づいていく。それが自分らしく生きる術ではないかと思います。


ちょっと長くなっちゃったので見出しにある「サッカーと人生のつながり」を簡単に解説。


【要は「サッカー」も「人生」も 流動的な情報の中から自ら自己選択してプレーする  (進んでいく)  ことが僕なりの共通点としてあるのです。】

なので僕の夢は子供達に
「サッカーを通して自分の未来を描くお手伝いをする」
これがカタチになって将来に羽ばたく教え子たちが出てきたら
先生  (先に生まれているからね)  泣いちゃいます。笑



今日はここでおわり。

読んでくれた人、ありがとうございました。

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