建築学生を経て思うこと

私は22卒で建築学生からハウスメーカーに就職した。建築士の資格も取得した。

小さい頃から家づくりがしたかった。
そんな漠然とした夢を抱えて建築学生になった。

設計課題をやる中で周りにはその労力や難解さから設計を嫌う人は少なくなかった。私も決して優秀ではなかったが評価を得られた時、完成した時、十人十色の思考、そんな奥深さやクリエイティブさに惹かれて設計がしたいとすぐ決断した。
そのまま計画、意匠を専攻し卒業制作までこなし、華やかではない大学生活を終え、設計職としてハウスメーカーに入社した。

どこか不安もありながら実施設計に心を躍らせていた自分がいたと思う。事実、いま設計担当としてそれなりに仕事を覚え始めて少しずつ設計もできるようになってきた。本当に少し。

ただ、

どこか思い描いた設計士ではないのでは と思うことはこの一年少なからずあった。
いわゆる建築意匠を志す人々の中で淘汰されがちな 量産建築 である。
意匠系出身のハウスメーカー希望の学生はこういった経験をした人は少なくないと思う。

学生の頃から意匠学生の中でハウスメーカーに行くことは常に疑念の目を向けられてきた。
それでも私は誰かの家が作りたいし、自分主体ではなくともそれが建築デザインだと言い続けてきた。
今もそう思うことには変わりない。
しかしながら自分の知識不足で実現できてないことも含め、やはり効率、金額は常にまとわりつき、尖っていない計画が良いとされるような風潮は内からも外からも感じる。
これがどこか違和感を感じている原因かさえも分からない。
ただ、自分の意思を示す場は明確に減少したし、
社会という場だから当然ではあるが、学生の頃とはだいぶ考え方に変化ができたとは思う。良くも悪くも。

これはハウスメーカーのみならず、建築業界の新人は誰しも通る道なんだと思う。現実である。これは実際働かないと感じれない建築の難しさだ。

なかなか思うように設計はできない。これはきっとどこへ行ってもそうだ。むしろハウスメーカーであれば型式認定を取得している所なら、そのルールさえ守れば1人で設計できると言っても過言ではない。
これの真意は学生では理解し難いだろう。

アトリエに行っても、組織設計事務所に行っても、ゼネコンに行っても最初は自分のやりたいことをできるとは考えない方がいいと思う。というよりできたらいいなくらいに思っておけばいいと思う。

長い時間を見据えて自分の気持ちや未来を考えてみて欲しい。
きっと意匠を専攻する建築学生は、設計が好きで、自分の理論や手法があると思う。それを設計に落とし込み、他に影響を与えたいと思う人たちだと思う。それ故に社会に出た時のギャップははじめは感じるものだ。だからこそきっと色々悩むことがあると思う。何が正解かはやってみないとなんとも言えないものだ。
不安を煽るようにしてしまったかもしれないが、学生は学生にしかできない思い切った設計で何か、建築に対する自分の集大成や決意を見つけてほしい。それが私のようなちょっとした寂しさを超える強さになるはず。

より良い時間を過ごせるように祈っています。
がんばれ。

矢面で花形な設計士。悪くないですよ。

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