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母のつくる焼きうどん

私は26歳の拗らせ女だ。

私の母は、専業主婦だったが何もしない女だった。

子供の頃は家事は苦手なのだろうと思っていたが、
今になってわかる。
あの人は何もしない人間だった。

病気だったとか特別な事情があった訳ではない。
本当に何もしない人間だったのだ。

いや、誰もが頑張ればある程度はできるであろう生活一般のことは母には難しいことだったのかも知れない。

私が子供のとき、

家はいつもゴミで溢れていた。

食事は朝は菓子パン、夜は惣菜。
昼は弁当を持っていかなければならなかったので(給食センターが震災で潰れた)
250円の弁当を前日の夜に買って弁当箱に詰め直して持っていった。

(弁当を作ってもらえない子どもというレッテルを貼られるのが嫌だった)

服を毎日変えるという概念がない母だったので
小学生の時は1週間同じ服で学校に行った。

それがおかしなことと気づいた私は、お小遣いで古着を買って洗濯もするようになった。
(当時から服は安ければ安いほどいいと思っていたので、今も服にはお金をかけれない)

授業参観など学校行事にも出ず、働いている父が仕事を休んで出ていた。

自分の母親ながら、本当にダメな親である。

そんなダメ母だが、彼女が唯一つくれる料理がある。

焼きうどんだ。

なぜ彼女が焼きうどんだけをつくれるのかはわからない。
でも母親が唯一作れる焼きうどんは、美味しかった。

しょうゆと出汁で味付けした非常にシンプルな焼きうどんだ。
うどんは1玉30円とかで売ってる茹でた袋麺だし、具も豚肉やキャベツ、もやしなどありきたりなものばかり。

きっと世の中のお母さんがつくる焼きうどんはもっと凝っていて美味しいに違いない。

何もできない母がつくる焼きうどんは、たぶん誰でもできる料理だ。
他の人が食べたら、なんてこともない味なのだろう。

正直言って、人生で1番嫌いな人だ。

ああはなりたくないなと思いながら
高校を卒業してすぐ家を出た。

実家を出てだいぶ経つが
いまだに焼きうどんを食べると
私と母の関係や幼少期の頃を思いだす。
そこに「おふくろの味」と言えるような
優しい思い出はない。
あるのは苦い親子関係だ。

でも、
死ぬ前に最後に何を食べたいかと聞かれたときに
頭によぎるのは、いつも焼きうどんだ。

私の人生にとって、それは特別な料理であることには違いない。

#元気をもらったあの食事

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