俺さ、ワーホリをGIVE UPすることにしたんだ。
最近は冬の割には暖かい日が続いているシドニー。
ただそんなシドニー生活、もといオーストラリア生活に、終止符を打つことにしました。
その経緯と考え方を、今後の記録として書いていきたいと思います。
ただ僕のスタンスとして、ワーホリは否定するつもりはありません。魅力的なチャレンジだと思います。
ではなぜ、その魅力的なものを諦めるのか?
This too shall pass.
英語圏の格言のらしく、直訳すると「これもまた過ぎる」。
つまりポジティブにもネガティブにも、永遠は存在しないということ。
帰国を迷っていた時、この言葉に出会いました。
そもそも僕はずっと仕事が見つかりませんでした。
というよりも探さなかった、の方が近いかも。
キャリアアップを目的として渡航した分、それにつながる仕事をしたくて、結局いい仕事が見つからずに時間を浪費してしまいました。
ワーホリに来るにあたり、投じたお金や時間は巨大です。
1年単位が普通である分、派手に日本を離れた分、帰国した時の周囲の目がすごく怖い。
そう感じてしまい、ここで離れることを決めれずにいました。
その結果、考えすぎて危うく鬱病を発症するところでした。
僕は10年ほど前に発症したことがあり、社会復帰に1年かかりました。
もう二度とあの経験をしたくない、そう感じて帰国を決めました。
人生は一瞬。
ここでダラダラ過ごすよりは、日本に帰ってまた新しい経験を積めばいい。
僕にとってワーホリは成長の手段に過ぎないから。
僕は今、大学を休学しています。
帰ったら就活だし、夏インターンの選考をシドニーで進めています。
この大事な時期を、ジリ貧で過ごすわけにはいかないんだ。
「撤退」ではなく「転進」
この言い換えは、戦時中の日本軍が自軍の負けを美化するために使ったものです。
でもこの考えは大事だなと思って、「負け」「失敗」と考えるより、「次につながるもの」と考えた方が楽です。
明確に失敗なことはないと思ってて、少なからず・いつかは自分の役にたつことにつながると思います。
例えば、僕のワーホリは人によっては失敗とみなすかもしれません。
だって、「学校行っただけ」「働いてない」「友達全然いない」「お金稼いでない」から。
一方で、「海外で長期間暮らしてみる」「英語力が上がる」「海外インターン3ヶ月」といったことは実現できました。
本人が成功だと思えば、それは成功なわけで。他人の人生の合否を判定するべきではない、ということも学べました。
この世で一番大事なのはメンタル。
時間は一瞬です。
ワーホリ生活の終わりが見えた以上、残りのこの生活を目一杯楽しむことにしました。
そうやって切り替えれたからこそ、今は病まずに勉強に時間を当てれています。
何かを守るためには、思い切って何かを切ることも
もしかしたら必要なのかもしれませんね。
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