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感情をコントロールする?

心理学や精神医学系の記事や動画を見ていると
『感情をコントロールする』『アンガーマネージメント』
と目にしたり、聞いたりすることがある。

今回はこの辺りを【エイブラハムの教え】から考えてみる。

エイブラハム って?
【エイブラハムの教え】って何?

ごくごく簡単にいうと、エイブラハムは宇宙の源(ソース)の非物質の存在で、その叡知の周波数をエスターというアメリカ在住の女性を通して、物質界に伝えている。
その教えは、「引き寄せの法則」として有名だよ。
先に読んでくれても嬉しいし、後に読んでもらえるのもうれしいから、記事最後にもう1度リンクをはるね。


感情ってそもそもなに?

感情は生まれ持っているもの

私たちはみな感情を持っている。
一番わかりやすいのはの赤ちゃんだと思う。

生れたばかりの赤ちゃんは最初のひと月くらいは、眠っている時間が多いけれど、2か月もすると笑ったり喜んだり、泣いたり、不機嫌な感じだったりがはっきりしてくる。

この最初の頃の感情と表現は誰に教わるわけでもないね。

小さくても、ちゃんと自分の中に快か不快かという感覚があって、それが感情として現れてくる。
この感情の働きは生まれ持ったもので、小さくても、はっきりと個性もある。

そこで、
生まれ持ったこの感情そのものをコントロールできるのかな?
って疑問が湧く。

疑問が湧いたところで、次はエイブラハムの教えで考えていくよ。


感情はソースとのつながり度を示すナビゲーションシステム


エイブラハムは、私たちはみなソース(宇宙の源・非物質)の世界から物理的な肉体を持つこの世界へやってくると教える。

ここで大事なのは、ソースと切り離されて物質界に誕生したわけではないということ。

パンとかお餅とか切り分けて小分けにする感じじゃないのね。

お餅をぐいーんと伸ばした感じに近いか?なんて

う~ん、そんな感じかもしれないけど、
そもそもソースは非物質・周波数の世界だから、パンとかお餅とか物質的なものは存在しないね(^-^;

物質世界にいると、イメージが物質的になっちゃうのは仕方ないけど。

お餅の話はともかく、

宇宙の源(ソース)のエネルギーと私たちは今、この瞬間瞬間常につながっている。

非物質的に エネルギー的に っていえばいいのかな?

で、「そのつながり具合の程度がどの程度なのか」ということを感情が示している。

感情は物質世界でのインジケータ 計測機器のようなものなんだね。

今の周波数はソースとほぼ一致した周波数です
今は少し外れました
今はだいぶ離れた周波数です

と今の私達の周波数の状況を示している。

感謝 喜び 愛 自由 つながり度はかなり高め

怖れ・絶望・無力 を感じる時は つながり度はかなり低め

参考に 感情のスケール  22段階の表

一人一人感覚が違うこともあるから、おおまかな参考指標でいいと思う。

上にある感情ほど、ソース(宇宙の純粋でポジティブなエネルギー)の周波数に近く、一番上はソースの周波数と一致,同調している。

下の方はソースの状態と葉かなり離れている。

目盛り(スケール)に注目して車の燃料計に例えてみると、上は満タンでしたがガス欠。

私たちも感謝や愛や喜びを感じている時はエネルギーにあふれているように感じるし、
怖れや絶望している時はもう一歩も動けない、そんな感じだね。

こう考えてくると、
ソース(宇宙、源)とのつながりを示す感情というシステムを、
コントロールしようとするのはやはり無理なのではないかなと思う。

でも、私たちは感情をこの社会で生きていると、時には厄介なものとしてコントロールしようとしたり、抑圧しようとしたりしてしまう。

特に怒りは厄介でなるべく避けたいものと、思う傾向があるね。

怒りのとらえ方

怒りは絶望や無力感より力がある

怒りは感情のスケールで考えると、上から17番目
下からは6番目

一番下の不安や絶望、無力感よりだいぶ上の感情

ちょっと想像して感じてみて欲しいのだけど、不安や絶望の時は身動きできなくてエネルギーが欠乏し、枯渇しているように感じる

怒りはどうだろうか、不安や絶望より自分に力がある感じがしないかな?

自分という存在の輪郭がはっきりしてくる感じというか・・
(だいぶマニアックな表現(^-^;)

怒りはなんか悪いものと捉えがちだけど、感情のレベルが上がっていく途中の段階と考えるとだいぶいい感じがしない?

フォーカス点を変える

気を付けるところは怒りの勢いを増幅つけすぎないこと。

何かにフォーカスして怒りを感じたとする。
そのままそこにフォーカスし続けると怒りの感情が後から後からやってきて勢いが増してしまう。

怒りを他人に向けてしまうことがあるから、その辺は気を付けた方がいいね。

風見婆も経験したことあるけれど、子どもに何かやらかして、怒るとそのまま勢いづいて過去のことやあれこれまで言いだして怒り続けてしまうとかね。
散々やられたこともあるし、自分でもやったことも多くある。

ハムスターの回し車みたいに勢いがついて怒りの勢いがついてどんどん回っちゃうのね。

そんな時は回し車の勢いを緩めて・・・じゃなくて(*^_^*)、

その場面から離れたりして、全く違うものに思考を向けてみる(フォーカスする)
カメラのズームを引いて、全く違うものにピントを合わせる感じかな。

怒りの感情そのものをコントロールするのではなく、
思考を向ける先、方向性をコントロールするという感じだね。

(*つい怒りすぎてしまった時は、後から素直に謝ろう。
子どもでも部下でも友人でも相手に対するリスペクトが伝わると思う。
風見婆は子どもたちに何回謝ったか、、(*^_^*)

思考の向く先を変えるお手本は、小さな子どもだと思う。

何かで怒ったりぐずったりしていても、何かパッ違う方向に切り替えてあげるとすぐご機嫌になる。

子どもの不機嫌な様子に注目しないで、あっ電車くる~! 

今日のおやっは何しようかな~ 後で○○買いに行こうかな~

とか子どもの顔も様子も見ないでそっぽ向いて言っているといつの間にか機嫌直して、横に来て、何々?て感じで顔覗き込んでたりする。

電車の中で泣いている赤ちゃんも周囲の人が声かけると、なになに?って感じ泣き止むこと多いよね。

もうそのフォーカス変わってからの感情変わるがめちゃくちゃ早い。


怒りの感情も尊重する


怒りの感情を尊重すると、自分の周波数(エネルギー状態)変換がスムーズになると思う。

怒りを感じることに罪悪感をもったりすると、怒りから上の感情の段階に住スムーズにいかないと思う。

罪悪感は下から2番目の感情だね。

それでも不安や絶望よりは一つ上だから、長く絶望や無力感に陥っていたら、一つ上の感情に持っていけたということだけど。

「怒りの感情を感じるのは悪いこと」「相手に怒りを感じるのは良くない」 

何となくそんな思い込みがある人は多いと思う。

特に女性の場合は多いかもしれない。

正当な理由で怒っても、「女のヒステリー」とか言われたりして、、、
はい、風見婆が小学生時代の話(^-^;
半世紀くらい前の話だけどね。

怒りの感情はソースから外れてますよ~ とのお知らせだから、そのあたりを明確にしていければいいね。

他のネガティブな感情も感情自体が悪いわけではないのだから、なんでこういうふうに感じるのか、

そのあたりを自分の中で明確にして、いい気分になる方をその時々に見つけていけばいいね。

何も見つけられない時は、昼寝とかもいいよ。

昼から寝ることに罪悪感を感じなくてもいいから(*^_^*)スの周波数)に近づく。

感情を切り離すこと&トラウマ


最後にエイブラハムは言っているわけではないけれど、
風見婆が経験から思うことを少し書くね。

感情というシステムがソースとの一致度を示すわけだけど、

この物理世界のコントラスト(多様な体験)からくる感情を受け止めきれなくて、感情を鈍化させることはあるのかな~って思う。

私たちの基本は自由で豊かでポジティブな純粋なエネルギーなのだけど、

この物質世界で大人や社会にこれまでの常識・決まり・身近な大人たちのやり方とか、いろいろなものをこうしなさい、こうしなければならない、こうあるべきとか、たくさんたくさんやってくる。
他にもその時々の周囲の状況でいろいろな扱い(心理的、身体的虐待)を受けたり、あるいは災害、天変地異的な物、人災(戦争、恐慌)なんかもある。

それらの様々な体験からくるネガティブな感情を本人にとって受け止めきれないと、
感情のシステムの精度をおとす、鈍化させる、フリーズ(凍結)させる
等を一時的に選択してしまうのかもしれないと思う。

この物質の世界で起きたことはなかったことにはならないから、その時の感じた感情はある。

けれど、怒りの感情のところでも書いたけれど、その感情がある(あった)とわかる・気づいたら、その感情を繰り返し感じる必要はない。

言い方を変えると、その感情が起きた時空間に何度もフォーカスし続けなくてもいいんだ。

もう1度、違う言い方をすると、何度もそのネガティブな感情が起きたことを思い出し、フォーカスして、その周波数に同調して、そのネガティブにな感情に似通った物事を引き寄せを続けなくていいんだ。


そういう経験をした、あったとわかって一時的にその感情を思い出した。けれど、それは過去のある時点のことだから、今ここから新たな自分の周波数の引き寄せを始めればいいんだ。

読んでくれてありがとね
































自分の実体験をもとに書いています。 悩むことも迷うことも多かった、楽しんできたことも多いにあった 山あり、谷あり、がけっぷちあり、お花畑あり、 人生半分以上過ぎたけど、好奇心はそのままに 何でも楽しむ気ありありです。よろしく!!