見出し画像

かすり傷が致命傷系でも、まだ笑ってられる

生きてるだけで致命傷でひとつも儲けたことがない系の皆さん。今日も瀕死状態でなんとかしたし寝たいし起きたくない、と思いながらの方。私もそういうジャンルの人間です。もっと若い頃は人間のクズを体現したような生活をしていました。皆が一番元気で経済的に自由なお金が手に入ったりし始める20代前半から三十路に足を踏み入れるまで、いつも薬と自傷とODの日々でした。そんな人間に呆れて家族からは無視され居場所も失い、ひとりで放り出されてもしばらくはまだ床を這いずる日々でした。この数年で徐々に私は何がしたいのじゃ?と冷静さを取り戻して、同時に人間らしくなってきました。
前提として、私はクッソクズな面倒くさくて厄介なガチメンヘラでした。それが少しマシになったのが今の私なのです。
それで、前回から少し時間があいてしまったのですが年末からバタバタしていたことを書きます。


母が永眠しました


年を越せませんでした。院内感染でコロナになったのも大きく体力を消耗したのでしょう。あんなに母が死ぬのを怖がっていた私ですが、不思議なぐらいなんともないのです。お腹は空くし眠たくなるしお菓子はうまいし犬はかわいい。不思議ですねー。何も変わらない。いまだに涙ひとつ流してない私は周りからざわざわされています。でも一応、ひとつだけ親孝行できたのでは?と満足しています。親より先に死ぬな、って世間ではよく言いますでしょう。
私はその親不孝をしようと何度も試みていた人間なので。成人してても先に死んだら賽の河原で石を積むのかな、とわりと真剣に想像したりしていました。

父が望んだこと 

私のお父さんが死んだ時、余命二ヶ月の末期癌で会いにく度言われたことは「仕事はがんばれてるか?」と「仕事を優先しなさい」でした。
退院してきて久しぶりに仕事をしていた私にお父さんは見舞いより仕事しろ、と言うのです。私が仕事につけた事が何より嬉しかったのだと思います。お父さんが息を引き取った時、私は仕事のために先輩とおしゃれなカフェにいました。お父さんのお願いを叶えたぞ、という達成感と亡くした悲しみで満面の笑みで泣き始めた私にびっくりした先輩に私は笑顔で言いました。
「お父さんが今死にました!!」先輩には引かれました。当然ですね。 


私は何も特筆するような事がないのです。人より得意なことも好きなものも、なんにもない。自己肯定感は最初から0だったので、今はマイナスを更新しています。だから色々な物を人に与えて印象をよくしようと小狡い手を使うしかないのです。母に好かれたくて何をどれだけプレゼントしたか。全て無下にされて余計傷ついたことか。でも当然でした。自分勝手なひとりよがりで、下心しかないのだから。
私がひとりで暮らしてしばらくした頃、母から預かったよ、と渡された紙切れ1枚に「強く生きてください」と書かれていました。
いやいや、もうけっこうさぁ、いや。かなりさぁ、人よりハードモードな人生だけど泥水を啜る様にしぶとく生きてるじゃない?私、死んでないのすごない?これ以上強くなれと?ふぇぇ、そんなの無理ィ。と思いましたね。
けど、母が余命いくばくもないと言われて、私にできる親不孝これしかなかったんだな、と思ったんです。親より早く死なない。これだけ。
私にとってはものすごく大変なことですが、一番簡単に出来ることでもありました。

父が死んだ時もう着ることはないと礼服は手放していたので、急遽用意したり年末のバタバタに加えて通夜から葬儀まで忙しかったな。
でもまだ私やることがあるし、これがまたひどく大変で本当に死んだ方がマシだわ〜と思ってます。昨日は叔母がどうやら癌が見つかったかもとか神妙な顔で言うから、もういい加減にせぇよ〜と。こんなハードな問題の大サービス求めてない。
疲れてるから皆笑ってしまったよね。
まぁ、手続きとか一通りわかったから…な?みたいな。いつでも大丈夫!とか。

私は何人かから、すご〜く心配されました。主治医からも。でも、まだ笑えてます。笑えるんだよなぁ。お腹は空くし眠たくなるし、やっぱり辛いだけじゃあ命まで無くならないみたい。

それでもかすり傷で死んじゃう系人間だからさぁ、生きてるのって超絶しんどいよね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?