見出し画像

退園することをすすめられて

 「あの、先生、同じようには、みんなと同じことは、何もできないです、ほんとに。すみません」
 イチロウくんのお母さんは、ひかり先生を見るなり言った。

 
 今日は、イチロウくんがもりのなか保育園に登園する初日だ。今日から3歳児クラスの一員となる。
 
 2か月前は、マリア幼稚園に在園していた。
もりのなか保育園に初めて見学に来たとき、マリア幼稚園の担任が書いたというレポートのようなものを、母親は迷いながら園長に見せた。
 「あの・・・こんな感じでも入れていただけるのでしょうか」

 【イチロウくんの様子 10月】
 他児を押してしまったり、引っ掻いてしまったりすることが多い。運動会の練習をしていても活動を理解できていないようで、固定遊具の方に行ってしまったり、大声を出したりして参加できない。

 「自閉症ではないか、診断を受けたらどうか、と言われて、結局、退園することをすすめられて、受け入れました」

 園長は静かに驚き、
 「こんなこと・・・。おつらかったですね」
とため息交じりに言った。母親の目から大粒の涙があふれた。悲しさよりも、悔しさなのだと、園長は感じた。

 
 子どもの選別をしていいということに、幼稚園は、なっている。しかし、本当にいいのか。  
 幼稚園を退園してきた子どもを入園させたケースは、イチロウくんだけではない。

 「イチロウくんが自分らしく育っていけるように、私たちはがんばります。イチロウくんが大人になったとき、幸せであってほしい。今はもちろんですが、今だけが目標ではなくて、ね」
 園長の言葉に、母親は驚いた。こういう場所があるのか、と。いや、今まで信じてきた場所は当たり前ではなかったのだ、と。

 ひかり先生は母親からの「うちの子できないんです紹介」にほんの少しだけ耳を傾けて、すぐに、
 「イチロウくん、おはよう。待ってたんだよ」
 イチロウくんの目線まで腰を落とした。イチロウくんは少し動きを止めたあと、保育室の入口の角におでこをくっつけた。
 「え? はずかしい? のかな」母親はつぶやいた。
 「そうですね。そんな感じがしますよね。私のこと、いま、しっかり認識してくれたので、ちょっと恥ずかしかったのかもしれません。そういう気持ちが育っているんですね。私も照れちゃいます」
 本当に照れているひかり先生を見て、母親は気持ちの温度が上がった気がした。我が子への気持ちの。久しぶりに。

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?