スラムホームステイを通して‐天命は何か考える‐
こんにちは。17歳のユウです。
一ヶ月程前のルワンダ滞在中、寝泊まりはドミトリーでさせてもらっていましたが、
最後の3日間だけ抜け出して、現地で仲良くなったママさん宅のあるスラム街へお邪魔していました。
今回は3日間のスラムにホームステイに関するお話です。
お世話になりました
彼らと一緒に食事をして、洗濯をして、お風呂に入って、睡眠をとって、、、
言葉はお互い通じないけど、一緒に生活を共にさせてもらえたことが凄く嬉しかった。
コンロはないから木炭を買ってきて、七輪を持っている人の元へ料理させてもらいに行く。お礼に一緒に、食卓を囲む。
お風呂もないけど、裸になって、お互い水を掛け合って、汗を流す。
洗濯機なんてないけど、持っている固形石鹸とお水とで、汚れた衣類を洗濯する。
朝食べるものがなかったら、隣に住んでいる人のところへ分けてもらいに行く。
”人"という単位で互いに助け合うコミュニティがそこにはあった。
日本のような便利さはないけれど、私はその生活を不自由だと呼びたくない。
”人と繋がっている”と肌で感じながら営まれるその生活は、私にとって凄く愛おしいものだった。
見ず知らずのアジア人を、まるで昔からいたかのように温かく受け入れてくれたこと。
外から来た人間だと線を引かずに、その生活やコミュニティの中に自分を迎え入れてくれたことが本当にありがたかった。
夢のような3日間だった。
「当事者でない私たちがどんなに努力しようと、本人の本当の苦しみを完全に理解することは出来ないんだ」
一方で、心のどこかで「帰りたい」と思ってしまった自分もいる。
いつ何かの病原菌をもらうか分からないような衛生環境(特にトイレ)に思わず身体中がすくんだ。
過ごした時間はとても宝物、それなのに心のどこかで苦痛だと感じてしまった自分が嫌になった。
コミュニティにいる人は皆家族だと捉える温かさ、自分も少しの間で良いからその一部になりたいとずっと願っていた。
それなのにたかが衛生環境ごときでその生活を拒絶しかけた自分にとても腹が立った。
やりたくて、進んで申し出て得た経験。
彼らと時を過ごすだけじゃなくて、幸せも価値観も共有して、全てを理解したかった。
心の底から、彼らの一部になりたかった。
なのに、結局の所自分は彼らにはなれなかったことが凄く悔しかった。
そんな時、ある先生がかけてくださった言葉がある。
「それでも、ユウさん。
私たちが当事者本人の苦しみや喜びを理解をしようとどんなに努力しても、私たちは永遠に完全な理解をすることは出来ないんだ。」
本当にその通りだと思った。
心のどこかで彼らのことを『可哀想だ』と思ってしまっていた。
本当に罪深いことである。
自分の中にある基準で勝手に、幸せかそうでないかを線びいてしまったこと。
ルワンダへ行く前までは勝手に、
『発展途上国の国々の人々は可哀想な人だから、国際協力系のスタッフになって、私が助けに行ってあげるの!』
みたいなヒーロー気取りでいた。
その事に対して、恥ずかしさが込み上げてきた。
支援の在り方について考える
「欲しいものってある?」と聞くと、
『何もいらない。だって今別に特に困ってないし』
スラムの人々はこう答える。
そうなのだ。
先進国に住む私たちが
「向こうに住む人々はこんな生活を送っているのか、支援してあげよう」
と思いする行為は意外と相手の心に届かなかったりするのではないか、そう発見した。
だからこそ、メディアの発信する
”可哀そうな人々”のイメージをそのまま受け取るのではなく、自ら足を運ぶことで、
彼らは本当は何を必要としているのかを知らねばと考えるようになった。
彼らの喜びや抱える苦しみを真に理解することは不可能な事なのかもしれない。
それでも、彼らの中では気づかないような”何か”から、彼らを守るために、外から来た第三者として関わることで彼らにとって大切な存在の一部になりたい。
対等な関係の中で、自分の天命を全うしたい
一方で、そんな気持ちですら、自分の欲望の一つなのではないかと思ってしまう時もある。
人を助けたいと願うこの心は本当に利他心なのか。
目の前の人だけでも幸せならそれでいいやと思ってしまう瞬間もある。
私がしたかったのは自己満足に過ぎないただの人助けで、利己心の一部を自分のなかで良いように言い換えているだけなのか。
そう考えるようにもなってしまった。
理解したい、何かしたい、何かできるんじゃないかと考える願望。
一方で自分なら理解できるんじゃないかと考えてしまったり、何か”してあげよう”と捉えてしまう傲慢さ。
対等な関係の中で、自分の天命を全うしたい。
すっごく抽象的だが、最終的な自分の”欲”が定まった。
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