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コメント欄~返信への返信

noteのコメントの機能のことでよく分からないことがあったので、書こうと思いました。
まずnoteにはXのようなダイレクトメールはあるのかを調べてどうやらそれに当たるものはあるらしい、と分かりました。
きっかけは最近私の記事にコメントがあって、それに対する自分の言葉を、少し長い言葉で書きたい。しかし相手のコメントに対するその私からのコメントを送る場合、どうやるのがいいのかよく分からず、自分と直接関係ないその人の最新の記事のコメント欄に自分のコメントしてしまいました。その人はXもやっていたので、そちらのDMでやれば良かったか、と後から思いました。それでnoteにはXのDMに当たるものがあるのか調べてクリエイターへのお問い合わせというのを見つけました。
それまでにも良くも悪くもコメントが来た時、それに対する自分の言葉を返信するのに、自分と直接関係ない記事のコメント欄にしていたので、改めてやり方を知りたいと思いました。
例えば良い意味でコメントされた場合、スキ♥️のリアクションはできるけど、「ありがとうございます。励みになります。」みたいな礼の機能はないようなので、スキ♥️以上の言葉で礼を言いたい場合も、私は自分に関係ないその人の記事のコメント欄にしていました。
悪い意味でも(性格悪いというか、言われたら言い返す、やられたらやり返してしまう)同様でまた、そのことに対する思いを記事にすることもあり、そのたびにエッセイが増える、その人を公開処刑にしているような感じになるので、なるべく当事者同士だけの間で済ませたい。
Xの場合は明らかに自分に対して言っている、あるいは自分によく当てはまる記事に対して直接返信や反応ができるけど、noteの場合はそこの部分がよく分かりませんでした。コメントをもらう寸前までのその人達の記事が私と無関係な記事ばかりなので、返信への返信というのはどうやるのだろう、中にはXをやってない人もいるだろうし、そういう機能があったらいいのにな、と思いました。
クリエイターへのお問い合わせというのを使えばいいのかいまいち分からないけど、これが一番それに近い感じがしました。

もう一つは自分への批判的な反応をする人達について。一つはこれが原因で自分語りのようなエッセイが増えているということと、Twitterの頃からブロック、フォロー外しが何人も出たので。
その人達は決して悪気がない、私の至らないところに気付いて真っ当なことを言っただけなんだろうというのは分かる。また私のことを心配しているような感じがする。だからあらかじめ言っておこうと思います。

例えば返信の人は「詩に人生を賭けるような言い方は人生を棒に振ってしまう」と言うのですが、そもそも子供の頃から「人生を棒に振った」ような冴えない人生を送ってきました。
私は幼稚園から小五の時まで緘黙児で学校で一言もしゃべらない、名前を言うことも返事をすることもできない、場面緘黙とか選択性緘黙症とかいう精神疾患でした。それ以降も友達が一人もなくてクラスの中で孤立していたり、学校の成績が悪くビリから数える方が早かった、周囲が強力に結婚を押し進める人が予想以上に経済力がなかったなど最初から冴えない人生でした。良かったところといえばひどい病気や怪我がなかった、子宝に恵まれた、自分の時間に夢中になれる趣味を楽しめたとかそんなところかな、と思います。
性格が悲観的でネガティブ。他の人達は似たようなことがあっても気にしてなかったり、相変わらず明るかったりするのに、自分はいつまでも悔しさとか不快感がずっと続く。
一般的でなく複雑な人間で、○十代の女性だからこうだろうという予測が効かないところがあります。実際昔から少しトランスジェンダーっぽいところがある。この点で自分のことを詳細に言わないと、一般的な基準で判断されてしまい、誤解が増える。だから自分語りが詳しくて長いものになる。
一般的な人間であれば基本的な自己紹介だけで人から理解され、見当外れなアドバイスなどもされなくなるのかな?と私は思いました。
要するに詩作の結果が芳しくないということで悲観しているのではなく、子供の頃からずっと何をやっても、他人の基準からすればみじめな感じの人生だったということです。私が何か悲観的でネガティブなことを書いていても、明るく楽天的な性格の他人とは基準がおそらく違うこともあるかと思います。

自作の詩を載せるのが本当の目的であって、エッセイを増やすことは本意ではありません。だからこんなことになるなら雑談なんか最初からすべきではなかったか、とも思います。

最後に、現在未発表の最新作が第三詩集になるのかまた賞に応募するのか決まっていませんが、とりあえず19篇出来ました。






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