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自分流~夢猫は父と正反対

他人の評価や他人の目を非常に気にする、悲観的でネガティブ、神経質な性格をしているせいか、たまに読者やフォロワーからその事で反応されることがあります。
「詩は自分の為に書くものだと思う」
「詩を書くことと受賞は関係ない」
SNSをやってみて、要するに自分流を貫く方がいいみたいな反応をされるようだ、と分かりました。

落選の憂さを晴らす為のストレス解消みたいなエッセイが沢山スキを貰いコメントもあったということで久しぶりに書こうと思いました。twitter~Xでは大抵1~3つ位の一桁しかいいねがないことが多いので、noteとはいえこんなに沢山スキがあったのは珍しいです。

まず、審査員についてですが、私の身近にいる人達はそもそも私が詩を書いていること自体に興味がなくて反応がない、現代詩を知らないとか分からないという人達ばかりです。
それで詩についてどう思っているのか、私の作品をどう思ったのかということが、リアルには分かりにくいので、ネットや書籍など遠くの人でないと知るのが難しいと思いました。現代詩のことをよく知らない一般の人達ではなく、そうした分野に詳しい専門家のような人達からはどう見えるものなのか、選評を参考にしてみたいと思いました。他人の声も何もないとこちらも情報が分からないので。

読者、フォロワーの方々から見れば、他人の評価など気にせず自分の書きたいことを書けばいいではないか、で済むかもしれませんが、少し違います。私は他人の目を人一倍気にする性格でありながら、一方では頑固に自分のスタイルを変えない人間でもあります。他人に自分のスタイルを否定されても、悩んだり迷ったりしても結局は貫いてしまう人間でした。人から「変える必要ないよ」とか励まされたのではなく、自我が強いというのか人に言われた通りに言うことを聞いて変えようとしても変えられない人間でした。
例えば好きな音楽ジャンル(HR/HM)や内向的で幻想的な性格、仕事や生活より趣味(文章を読んだり書いたり等)に向かうところなど、家族や身近な幾らかの人達から非常に嫌がられ、批判され、嫌味を言われ、怒られたり、やめるように、変えるようにと散々言われたりしました。時に耐えかねて私は何度も激怒したり泣いたり、もう反対されないように人前で自分のことを隠したり、また、せっかく友達になったのにそれが原因で何人も喧嘩別れ、絶交になったりした。これで他人の評価など気にしないなどとは思えなかった。経済的に追い詰められたので、少し勤勉にはなりました(私はアリとキリギリスで言えばキリギリスのような人間だった)が、あれだけ反対されても結局自分は何十年も変わっていません。そのままの自分でいいなどと励まされたわけでもないのにです。作品もそれと同じ感じです。自分は自分のままでいいみたいなことを言ってくれなくても、いくらそのことで他人を気にして悩んだり、ひどく落ち込んでも、結局自分を曲げるようなことはありません。

既刊詩集「夢猫の風景」もそもそも今は亡き実の父と正反対のものでした。出版した時期も詩や文芸を嫌がる父の亡くなった後です。血縁であることは間違いないのに、私は内面の性格が全く父に似てなかった。
父は現実主義で実利的な性格なのに、私の作品は夢や幻想溢れるファンタジックな作風。
父は全くの犬派で猫嫌いなのに、私の詩集の表紙と挿入写真は猫(私と主人と子供達は猫好き)。
もし父に捧げる詩集にするとしたら「現実の犬の風景」になるんだろうか?
出版が父の死後になったのも、一つは私と性格や価値観が正反対で、付き合うのが大変だったのが原因です。
何しろ私の好きな音楽ジャンルを嫌がる、文章を読んだり書いたりすることを嫌がる、内向的で不活発な性格を嫌がる、現実離れした夢見がちな性格を嫌がる、家事や仕事をあまりやらず趣味的なことを嫌がる、中性的で女らしくないのを嫌がる。
私の個性は何か父の嫌いなことや気に入らないことばかりのような感じがしていたものです。その頃の時代は外向的で明るく社交的な人が高く評価されていたのに、自分はその正反対だったからというのもあるかもしれません。勿論血の繋がった実の親としての愛情は間違いないんだろうけど、価値観や個性、向いている方向の違いには本当に苦労しました。黙って放っておいてくれればいいけど、顔や言動に現れるので、手に負えない。
もしかして「夢猫の風景」とは父の嫌がるもので出来ているのかな、と思ったりします。

話は変わりますが、最近の近況について。
母の退院はもうすぐだと思いますが、具体的な日にちはまだはっきりしていません。
自分の県がプロ野球⚾️の本拠地で終盤だったので、クライマックスシリーズなど野球速報をよく見ていました。
また、ポイントをためるために動画視聴、毎日くじ、ゲ-ムをやっていたら、ゲームにハマってしまい、詩作が出来なくなり苦労しました。
それまでにも他の事に興味が移ってしまい、詩作が出来なくて苦労することがよくありました。
私にとって詩を作るのは思った事、感じた事、考えた事をそのまま書くというやり方ではないので、言葉が思いつかない、もう書けない、限界だと思うことはしょっちゅうです。
今のところ、未発表作は18篇まで出来ています。五行歌や一行詩などスタイルの変更なども考えましたが、今のところは第二詩集と同じようなスタイルで書いています。今のスタイルはちょっと長いものですが、たとえ短くなったとしても内容は同じような感じで、変わるのは長さのみになると思います。
私の作品紹介みたいな感じで過去作をnoteに記事を作ってて、まだ途中なので今は非公開です。マガジンの「詩」は部分的に抜きとったもので100%忠実に掲載したものではないので、これをほぼフルでやろうと思いました。しかし作品数が余りに多いし、既に本という形にしているので、必ず公開するかどうかはまだ分かりません。

以上、他人の評価を気にせず自分流を貫くというテ-マについて、私の思い当たることを書いてみました。

















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