形見分けの指輪よ永遠に・・・
身内を亡くした場合、形見分けをすることは珍しくない。
私が父を病気で亡くしたのは高校生の時だった。
しかしその時母からは、何ひとつ父の私物を渡されることはなかった。
まぁ大した物は持っていなかったということもあったのだろうが、それでも私は何かひとつでも、父が使っていた物を持っていたかった。
母は父の遺品をどういう気持ちで処分したのか、未だに聞くことはできていない。
母自身もきっと、父の私物を何ひとつ形見としては持っていないだろう。
父がこの世から旅立つのと同時に、母は長年の苦労から解放され、父への愛もそこで終わりを迎えたのだと思う。
***
姉が病気で亡くなったのは、私が42歳の時だった。
その時は姉のご主人に私から形見分けをお願いした。
姉の遺品が勝手に処分されるのが怖くて、亡くなってから割と早めに声を掛けた。
彼は快諾してくれ、好きな物を好きなだけ持って行っていいと言ってくれた。
母とふたりで、残された姉の服やアクセサリーなど色んな物をひとつずつ手に取った。
姉は物を大切にする人だった。
こんなもの捨てちゃおうか、なんて物は何ひとつなく、けれど何もかも持って帰るわけにもいかず、チョイスするのに苦労した。
服や腕時計、アクセサリー、お化粧品などを形見分けとして譲って頂いた。
遺品を家に持ち帰ると、そこに姉が居てくれるような気がした。
身に付けると、姉が守ってくれているような気がした。
アクセサリーの中で、一際目を引くネックレスがあり、私は何か大切なイベントの時はそのネックレスを身に付けるようにしている。
姉と一緒にそれを楽しめるように。
***
私が働きだして初めて頂いたボーナスで、母を旅行に連れて行ったことがある。
旅のお礼にと、母は本真珠の指輪を私に買ってくれた。
20歳になる前の話しなので、30年ほど経ったあとでも、その輝きはひとつも褪せていなかった。
それほどその指輪を私はとても大切にしていたのだ。
息子の結婚が決まり、その思い出の指輪を息子のお嫁さんに譲ろうと考えた。
この指輪は、娘2人ではなく、お嫁さんに譲るべきだと思ったのだ。
サイズ直しを兼ねて、立て爪タイプだったデザインをシンプルなものに、また金属アレルギーを持っていたのでシルバー台をプラチナにリフォームし、内側に『FOR YOU』の文字を刻印した。
母がお土産屋さんで買ってくれた決して高価ではない本真珠の指輪が、唯一無二の指輪に生まれ変わった。
結婚式当日に、本人にはサプライズでプレゼントをした。
お嫁さんは涙をポロポロとこぼし、とても喜んでくれた。
息子夫婦から子供達に、そこからまた後の世代に引き継がれて行く…、そんな未来がこの指輪にあればなんて素敵なんだろうと思わずにはいられない。
***
指輪をお嫁さんに譲ることを決めた時に、母と娘2人にも了承を得ていた。
その代わりに、私が持っていた自分で買ったもうひとつの指輪と、姉の遺品で譲り受けた5つの指輪を、娘2人に譲ることにした。
どれも可愛いと喜んでくれ、私の手元からは離れたが、ひとつも寂しくはなかった。
むしろ、姉が喜んでくれているような、そんな気がした。
これで分け隔てなく、指輪に関しては生前の形見分けができたことになる。
と言いながら、息子には何もまだ渡せてないことに気付く。
息子よ許せ。
さてさて、君には何を残せるだろうか…。
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