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好き?好き?大好き?

Do You Love Me?
という原文でよく知られるR.D.レインの代表作、好き?好き?大好き?はそれはそれは自分の心に影響をとてつもなく与えた本のひとつだ。
私もその1人であるが、新世紀エヴァンゲリオンの「終わる世界」の副題として使用されていたことで知った方がきっと多いのではないだろうか。
この作品が与えた影響というのはすさまじく、KKベストセラーズから発売された美少女ゲームのタイトルにも引用されているし、戸川純の有名曲にも引用されたりしている。私の敬愛しているlainの名前の由来や作中のゲーム進行にも関係していて、間違いなく私を構成するひとつだ。

強迫観念と、自己との境界で常に悩んでいる自分からすると、この好き?好き?大好き?はそれは衝撃的だった。

最初こそ恋人同士の可愛らしい対話だが、質問が尽きず繰り返されることによりまた違った雰囲気になってくる。この少女は、根幹的に自己の存在の危うさを感じているが故に、他人の言葉によって自分の足場を作っているのだ。いくら言葉で塗り固めてもどんどん境界が浮き彫りになり、同一化することが出来ず繰り返しても繰り返しても不安になっていく。
愛によって、全てを埋めようとしてるわけだが…まさに強迫観念でこれはとても身に覚えがある。

実際に自分に置き換えてみても、普通や正常、狂気と異常の線引きは非常に曖昧で、日々その境界でどこでラインを引いたらいいのか分からず足踏みしている。
同著者の「引き裂かれた自己」には、このパラドックスに陥ってしまうことを「にせ自己-体系」という項目にまとめてあるのでそれも合わせて是非読んでほしい。

この伝説的な詩はとても素晴らしいが、他のレインの詩も狂気と正常が入り交じる病的な表現がされていて、いい気持ち悪さと気分の悪さを感じることができとても素晴らしく、その危うさに関心してしまっている自分がいる。詩の中の人物も、私も、無意識的な愛を求めているからだ。

レインの言葉で救われ続けるのは、きっと良くない。
痛切に愛を愛した精神科医なレインは現代の物質として処理する精神科医学を批判している。「世界」に対して、自己やアイデンティティ…そう、正に主体性を持って関わることこそきっと救われる道なのだが…
普通に過程を踏もうとすると、何故か自己崩壊を起こしてしまう。やはりなかなか難しい。
レインの詩や言葉で間接的に自分を理解することで確かに救われてしまったし、惹かれてしまっている。魅了されてしまっているのだ、レインの詩に。
今はまだ、それでいいのかもしれない。


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