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Dream Fighter  Perfumeと摩美さんと

2014年が暮れようとしていた頃だったと思う。もしくは2015初頭か……
私はPCで動画を検索して観ていた。

私は自分でいうのもなんだけど結構な音楽好きだし、聴くジャンル的なところも広い。広いというよりあまり選り好みせず気に入ったものを聴くという方が正しいかもしれない。

私の最初の音楽的アイドルは邦楽でいうとザ・タイガースだった。
洋楽はもちろん兄の影響を受けてのビートルズ、ベンチャーズだった。

まだ、お小遣いももらえない頃。たまに帰ってくる父が気が向いたように買ってくるレコードは親の趣味ばかりで、加山雄三さんとか菅原洋一さんとかいしだあゆみさんとか歌謡曲が多かったけど、ごく稀に兄を含めてのリクエストから、ビートルズやベンチャーズ、アニマルズとかのEP(シングル盤)を手に入れてきてくれた。

確か祖父の家から譲ってもらったんだと思うけど、ポータブルのレコードプレイヤーでそれをずっと聞いていた。それこそ針飛びしてまともに再生できなくなるまで聴いてたと思う。👇(こんなので聴いてた)

古いレコードプレイヤー。こんなのが常識でステレオセットなんかは随分と後になってから。

最初に私個人のレコードとして買ってもらったのは、タイガースの「シーサイド・バウンド」小学校に入学したからそのお祝いだったのかもしれない。
理由はよく覚えていないけど、このジャケはよく覚えてる。

ザ・タイガース シーサイド・バウンド
ザ・タイガース トピック

自分でレコードが買えるようになるのは高校生くらいからだから、主にラジオで音楽を聴く生活だったけど、この「シーサイド・バウンド」とこの後に兄から貰ったまともに聴けないビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」は永らく私の宝物だったように思う。今はもう手元にはないけど。

The Beatles   Please Please Me

ちよっと回顧録みたいになって脱線しましたが、話を2014年暮れに戻します。

私はあるアイドルグループに心底惚れこんでいた。
その名は『Perfume』
今やマジで世界に誇れるダンスミュージックアイドルグループである。
彼女らのことは初期のアキバ時代から知っていて(まだ中学生だったはずだ)あー、このままメジャーでは売れないかと思っていたところに「チョコレイトディスコ」がブレイク、その後「ポリリズム」(2007)が大ヒットして今がある。その間、約16~17年追っかけてきた。そんな彼女らとファンの私たちにとっての初期の神曲がこれ👇
「Dream Fighter」

[Official Music Video]  Perfume 「Dream Fighter」


アキバで自分達のライブのビラ配りをしてた広島の女の子3人組が夢を叶えた瞬間。
彼女らとファンとの絆の曲であったわけです。

私はその時Youtubeで「Dream Fighter」を聴いたあと、PVの他に何かカバーとか、別バージョンが無いかを探していた。そしてあるアーティストの動画を偶然に発見する。

それは 畑中摩美というアーティストの歌う「Dream Fighter」だった。

畑中摩美  Perfume 「Dream Fighter」カバー
映像制作 鈴木研一郎


衝撃だった。

「うわっ!!」と思わず声を出したのをはっきり覚えてる。

オリジナルの「Dream Fighter」が中田ヤスタカさんの当時、最新のサウンドワークで作られたチューン。それを彼女はギター1本で、ブルージーにスキャットを、美しくコーラスを多重で重ねてのカバーを披露してみせた。

夢を追いかける事、それはたやすくはない。彼女自身がそうであるように。
しかし信じ続けて、求め続け戦う人だけがそこへ到達する。

曲のテーマ、Perfumeの3人のこれまでの努力、そして摩美さんのこの歌。

自分自身あと数年で定年を迎える時期、もう会社ではこれ以上のポストはない。現状を無難に過ごしてリタイアした後はもう何もないなあ~と目標も目的も思いつかない毎日の私の時間にあまりに大きなメッセージと感じた。

彼女のことを徹底的に調べた。浜松で活動しているシンガーソングライターであること。昔メジャーデビューしたものの、今は個人で活動されていること。ラジオ番組のパーソナリティーや、映画にも出演経験があること。幾つかの動画やCD音源を買いあさり彼女の歌に触れた。

そして2015年の4月、意を決して浜松へ彼女のライブを聴きに行った。
彼女とpesoさん、そして今はメジャーアーティストである川島ケイジさんの3メンライブで彼女の生歌に触れた。

それから何度か浜松へ出かけた。
どうしても関西に来てほしくて、彼女に無理なお願いをして個人企画ながら関西でライブもしてもらった。京都宇治でのライブはワンマンだったので必死で集客した。なんとか体裁は整えられ、肝心の彼女の曲を聴くよりも安堵のほうが先にたったくらいだった。

当時のチラシ、映像作家である鈴木研一郎さんに作成して頂いた。

文学作品でも音楽でも、一生の間に衝撃の出会いをすることは誰でもあるのではと思う。

私の場合は三島さんや水上勉さん、中上健次さん、カポーティや村上春樹さんが…… ビートルズやストーンズ、ジャクソンブラウンやポールサイモンらが青年期を作ってくれた。

そして、人生後半戦を折り返したところで彼女の歌に出会った。

そして今に至っている。

コロナ過で多くのアーティストが活動の場を奪われる中、彼女も懸命に音楽を繋いだ。

個人的なことだけれど、以前、大病をした時も彼女の歌は私に生きる力を与えてくれた。

他にも応援をしているインディーズのアーティストは何人かいる。けれど摩美さんは私の中では特別だ。

なぜだろうか。
それは彼女が「Dream fighter」だからだと思ってる。

私はすでに現役生活ではない。
けれど生きねばならない。

それに
まだまだやらねばならないこと、やることが、やりたいことがあるはずだ。

彼女の歌はそれをいつも後押ししてくれる。
だから私も彼女を後押しする。

それが彼女との絆であると思ってる。


【私が大好きな摩美さんの曲のうちの一つ 「みずうみ」】


先日のカバーバトルで摩美さんはまた一つ大きくなったように感じる。
結果はテッペンではなかったけれど

私の中でいつも摩美さんは、テッペンをめざして歩んでいる。


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