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ほんの一部スイカ②

私の子供時代。
昭和30年代~40年代にかけて

スイカは夏のヒーローだった。

爺ちゃんの家に遊びに行くと必ずスイカをどこからか手に入れておいてくれた。スイカは当時の冷蔵庫なんかに到底入らない。
だから冷やす方法を婆ちゃんはいくつか持っていた。

桶に水を張りスイカをつけておく。氷屋で氷を分けてもらい水に放り込んでおけば結構な冷たさになった。

井戸のあるご近所のところで井戸に漬けておいてもらう。
これが一番冷たいスイカになってたと思う。

私の祖父母の家は、実は海水浴場のすぐ近くだった。歩いて線路を渡ればすぐに砂浜へ行けた(今のJR神戸線須磨駅の近所だった)

だからスイカを海の中に泳がしておく。その間、海で遊んで、帰りにスイカを持ちかえり、引き続き桶の中の水に漬けておけばよかった。

砂浜でスイカ割りをしてその場で食べたこともあったと思う。当時の写真があったのだけれど震災で何もかも消えた。

丸々とした大きなスイカ。
当時も半分にして売っていたとは思うけど、大抵は大きさと値段をみて丸ごと1個買っていた。貧乏な時はご近所で寄り合って買って分けていた。
夏の近所のおすそ分けは大抵、スイカかそうめんだった。

一つのスイカを婆ちゃんや母が切って、それをみんながかぶりつく。
種をどこまで遠く飛ばせるか? 一番誰が早く食べれるか? 
塩をかけて食べる爺ちゃんが不思議だった。なんで甘いのに塩をかけるの?
「もっと甘くなるからや」と言われ、絶対嘘だとやらなかった。

種を顔に付けて「ホクロ」そんなつまらんネタで皆が大笑いしてた。
ヘタをその辺に転がしておくと、朝にはありの行列がみれた。
秋口には鈴虫の餌になり、報酬の音色を聴かせてくれた。

そんな夏の日が当たり前だった。

小学生の頃、気になる女の子の家へ母に言われて小ぶりのスイカを届けたことがあった。その子の家まで大事に抱えて歩いた。
絶対に落とさない、転ばない。

出てきたのはその彼女。

「これ、おかあちゃんがもっていけと言ったから」
「ありがとう」
「ほんなら帰るわ」
「ちょっと待って」
少しドキドキする。

「これ、おかあさんが渡してって」
お返しの『せんべい』か何か

「ありがとう」
「ほんなら明日ね」
「ほんなら帰るわ」

スイカはヒーローだったけど、キューピットではなかったようだ。

私の人生のほんの一部はスイカでできている。
大人になり、老齢になり、当たり前のようにスイカに塩をふりかけ一口齧る。

おわり

夏休み 吉田拓郎



ほんの一部スイカ①  を書いた後、波多恵さんの作品を読んでて、なんとなく昔を振り返ってました。別に昔が良くて、今がどうだとかを声高に言いたいわけではありません。


ーごめんなさい 今作は字数無視しましたー
ショートショートにもなっていません。
たらはさんごめんなさい。お題だけお借りしました。






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