オリジナル短編小説 【噴水〜季語シリーズ22〜】
作:羽柴花蓮
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日本には、和歌、短歌、俳句などの歌の伝統がある。特に俳句は季節を表す季語をいれて詠まねばならない。古くからそれは歳時記にまとめられ、連綿と続いてきた。時に忘れ去られ、時に加えられながら。そんな季語が紡ぐ物語である。
噴水。夏の季語である。言わずもがな、公園や庭園に作られた水を噴き上げる装置だ。水の涼感を楽しむ物である。
そこにサマードレスを着て、夏帽子を被った女性がいた。噴水の場所で涼を取っている。待ち人来たらずか・・・。女性が背を翻した途端、声がかかった。
「アヤメ・・・?」
「トオル?」
二人は動きを止めた。そしてそっと歩み寄り手を取り合った。
遠い昔の思い出。
彩愛は曾祖母の思い出話をいつも聞いていた。
「ひいおばあちゃん。その噴水どこなの?」
「さぁ、どこっだたねぇ。彩愛の噴水は別の所にあるよ」
「変なの~。彩愛用の噴水なんてないもん」
「あるよ。きっと。この世界のどこかに」
その会話も遠い昔の会話。
「ここだ」
彩愛は立ち尽くした。
私の噴水はここだ。
なぜ、そう思ったのかわからない。ただ、この噴水を見て思った。なんの変哲もない噴水。今では街は開発されて噴水は減ってしまった。その中の一つの噴水が彩愛の見た噴水である。その視線の先には一人の青年が腰掛けていた。その青年が振り返る。
「アヤメ?」
「もしかして、トオルっていうの?」
ああ、と青年は言う。
「曾祖父から言われていた。いつかこの噴水でアヤメという女の子に出会うと。そのための噴水だよ、と。不思議な事もあるもんだな。本当にアヤメという女の子がいるなんて」
あの昔のアヤメとトオルは添い遂げられなかった。想いながらも別の相手と結ばれ、家庭を築き、生きた。
「昨日、ひいおばあちゃんの法要があったの。いつも、ひいおばあちゃんは彩愛の噴水があるよ、って言ってたの。確かこの近くにもあると思って来たら、あなたに出会った」
二人はゆっくり近づく。幻かと思って。その幻が消えないように、と。彩愛は手を透に伸ばす。透は迷わず、その手を取った。
「アヤメってどんな字を書くんだ? 俺は透明の透」
手を引いて抱き寄せながら、透は聞く。
「彩りの彩に愛の字よ」
彩愛も手を引くことなく、答える。まるで魔法にかかったみたいだった。真夏の夢。そこだけ無音、だった。ただ、噴水の水の音だけが流れていた。
「彩愛?」
彩愛の母親の声で彩愛は我に返った。魔法が溶ける。
「お母さん」
透は自然と手を離していた。また、今度、そう言って去って行く。後ろ髪を引かれる思いをしながら彩愛は母親の後を追った。
そして、夏が来る。あの夏から何度目かの・・・。それでも来た。
彩愛はサマードレスを身に纏ってこの噴水に来た。あれから数年経った。高校生だった彩愛は勝手に抜け出して遠くにいく事はできなかった。それほどここは遠かった。大学生になってやっと来ることができた。ここの近くの大学を受験したのだ。無事、合格し、この日、あの日と同じ日に彩愛は噴水へ来た。
噴水には誰もいなかった。透はもう誰かと一緒になったのだろうか。あの魔法のひとときを忘れてしまったのだろうか。彩愛には忘れられない瞬間だった。まるで曾祖母と同じように透に恋をした。あのたった数分で。透もそうでなかったのだろうか。
彩愛はそっと噴水の縁に座って涼を取る。そこへ男性が現れた。影が彩愛の上に落ちる。
「透?」
彩愛は顔を上げた。
「そうだ。あれから毎年、同じ日にここに来ていた。彩愛が来ると思って。綺麗になった。彩愛」
「透!」
彩愛は透の胸に飛び込んだ。日傘が転がる。
「おや。感激屋さんなんだな。そう必死にシャツを摑まなくても俺は逃げないさ。恋人だっていないんだから。冴えないサラリーマンだ」
「ホント?」
再会に泣いていた彩愛は涙で濡れた瞳を向ける。
「こんなサラリーマンでよければ、結婚してくれないか。曾祖父の遺言でもあるんだ。アヤメさんの孫の彩愛と一緒になって欲しい、と。俺はあの日までそれはしない、と思っていた。そんな因縁で結婚したって長続きしない、って。だけど、違った。俺は彩愛に恋をした。可愛い彩愛の手を取ったとき恋に落ちた。彩愛、君はどうなんだ?」
「私もよ。透に恋をしたわ。でも、ここは家から遠すぎて来られなかったの。もしかして、彼女ができて結婚してるかもしれない、と思っても想いを捨てられなかった。もう一度だけでも透に会いたかった。だからこっちの大学受けてきたの。今、シェアハウスに住んでいるわ。一人暮らしは反対されて。それでなんとかしてここに来るにはって考えてシェアハウスにいるの」
「そこまで・・・。彩愛。今すぐ、君を俺のモノにしたい。でも急がば回れだ。一日一日を重ねよう。デートしてキスして抱きしめて。俺たちの曾祖父や君の曾祖母ができなかったことをしよう」
「透・・・」
透は日傘を手に取ると隠すようにして彩愛にキスをした。
「これで、彩愛は俺のモノだ。さぁ。噴水で涼みながら積もる話をしよう。彩愛はどんな子供時代を送ったの?」
さっきの彩愛のように噴水の縁に座って透が言う。つられるように彩愛も座って透の顔を見つめる。
「透は? ひいおじいさんとどんな思い出を作ったの?」
「彩愛と同じだよ。俺にも透の噴水があるよ、って聞かされて育った。もう何年も前に亡くなったけど、忘れられなかった。曾祖父がそっと秘密を打ち明けるように恋する女性の事を話すのを」
「私もよ。ひいおばあちゃんもいつもその話ばかり。飽きたっていってもその繰り返し。その内、私も透に出会うんだ、って想うようになった。まさか同じ名前とは想わなかったけど」
「字が違うだけだ。託されたんだ。俺たちは。昔の恋の成就を。家のことや戦争のことで引き裂かれてしまった自分達の代わりに自由な時代に生れた俺たちに恋をして欲しいと願っていたんだ」
「もう。恋はしてるわ」
彩愛がすねたように言う。
「お姫様、これ以上はここでは出来ないけど?」
魅惑的な視線を投げかけられて彩愛はどきり、とする。
「大丈夫。再会したての恋人にこれ以上何もしない。おいしいかき氷の店があるんだ。ここも涼しいけど、少し日差しが強い。店に行こう」
「ええ」
透が立ち上がって手を引っ張る。そのまま引かれるままに彩愛は立つ。恋人つなぎをしてかき氷屋に行く。
涼しげなかき氷を、たった今、恋人となった透と一緒に食べる。甘いシロップの味が恋の味になる。
「まるで恋みたい」
彩愛はぽつり、と言う。
「恋の味、か・・・」
透もそう言ってかき氷を口に運ぶ。
「また、来週もあそこで会える?」
彩愛が聞く。真摯なまなざしだった。
「ああ。週末は彩愛のために取っておくよ」
「嬉しい」
はにかむような笑顔が印象的な彩愛である。
「本当に彩愛は可愛いな」
「これでも女子大生よ」
「俺から見たらまだまだ子供」
「子供扱いしないで」
「それは結婚してからしてからな。それまでは彩愛は俺の妹」
「妹じゃ結婚できないじゃないの」
「これでも男の性を抑えているんだ。それぐらい許してくれ」
「って。透・・・もしや?」
「もしや?」
「むっつりスケベ?」
「この」
こつん、と透の拳が彩愛の頭に墜ちる。
「痛くないもーん」
「覚えておけ。結婚したら思い存分復讐してやる」
そこに暗に秘めた内容を感じ取った彩愛は真っ赤になる。
「初心だな。俺もだが」
「どこが」
「さぁ。また散歩するぞ。デートだからな」
「透、大好き」
飛びつかんばかりの彩愛を抑えて店を出る。彩愛が腕を絡める。
「おひっ」
「デートでしょ?」
「しかたない。しっかり掴まってろ」
むすっ、とした透に彩愛はさらに突っ込む。
「ツンデレね」
「知るか」
さっきまで優しい紳士だった透も打ち解けたのか、ぞんざいな言葉使いに変わっている。これが本当の透なのだ、と彩愛は思う。こっちの透の方が好きだ。
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