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2024/01/02

思考の「場」

今日からここに、僕の思考の痕跡を残していこうと思う。
できれば毎日投稿しようと思っているけど、たぶん三日坊主で終わる。それでいいのだ。
今日は自分の備忘録として、今後のこのnoteの使い方の方針を示してみたいと思う。
その前に、少しこのnoteをやってみようと思った経緯も書いておく。それがそのままこのnoteの方針を表すことになるからだ。

きっかけ

今年(2024年)もX(いまだに呼び慣れない、絶対ツイッターだろ)でいろんな人が今年の目標や抱負を投稿しているのをみて、(去年の自分と同じように)『目標なんか立てません。』と言わば逆張りのような投稿をしてしまい、なんだか恥ずかしくなってよくわからない自己嫌悪に陥っていたのだが、なぜこんな投稿をしてしまったのかグルグル考えているうちに、自分の中の「目的的に生きること」と「無目的的に生きること」の葛藤に気づいたのだ。そしてその葛藤は僕の人生を通じて貫かれてきたように思う。この僕の人生を懸けた思考(の過程)を何かに残さなければならない。自分の思考を蓄積していかなければならない。そういう切迫した思いに衝き動かされたのだ。
ちなみにこういう衝動は今までもずっとあったけど、形に残すための努力を怠っていた(ただの怠けでしかない)。今年こそ、自分の心が何かに衝き動かされた時に、すぐ動けるような体に作り直さなければいけない。今年こそ、音楽でも文章でもなんでも、自分の存在した証を形にしていきたい。ああ、なんだか今年の目標を掲げている人と同じじゃないか、と絶望しつつ、今こうしてベッドの上でパソコンを開いている。(12/29に仕事終わりでそのまま実家に帰ってしまい、家の中がぐちゃぐちゃなまま年を越してしまったので机の上にものを置くスペースがない。)

方針について

さて、思考の痕跡を残すといったが、どちらかというとこのnoteは、自分が思考する「場」として使っていきたい。即興的に、そこで出てきた言葉を書いていく「場」。思考実験場といってもいいかもしれない。つまり「無目的的な」もしくは「自己目的化した」文章を書くことを目指そうと思う。目指しているといった時点でもはや自己矛盾に陥っているが。
ちなみに、僕はずっと「場」を作ってみたいという思いがある。今の(超少人数の)職場を選んだのもそのためだ。(それはたぶん、故郷=地元というものを持たない僕の、故郷=地元を持つ人間に対する憧れに根ざしている。)

本題

さて、本題である。前述した今年の目標を掲げる人に対する僕の『目標なんか立てません。』という僕自身のツイートをめぐる思考の途中で、僕は目標を立てることの意味を実感していることに気づいた。2023年に仕事で責任ある立場になってしまった中で、僕は目標を立てて逆算的に行動することの意味を、自らの体を持って体感してきたのだ。そこで大事なのは超具体的な目標を立てること。そして目標に向かう自分の行動までも、具体的にイメージすること。
例えば生徒とやっている面談の中で、目標の立て方を超具体的に話している。「数学の点数10点アップ」ではなく、「数学の大問1の(2)と(3)を必ず取って14点アップ」までやる。そうすると、日々の行動の具体性が上がり「(2)と(3)は関数の問題なので問題集の◯ページから◯ページまでを解けるようになるまで無限に繰り返す。」といった具体的な数字が出てくる。あとはそれを日にちで割って一日何ページやるか決められる。
こんなこと、今までの僕にはできなかった。どちらかというと僕は「無目的的に」何かに取り組んでいた。受験勉強も音楽もそうだ。刹那的に生きてきたのだ。だからこそ、去年は『今年の目標なんか立てません。』と心の底から思い、それをツイッターで投稿した。
でも、今年は違う。2023年を通じて、目標を具体的に立てることの意味を体感してしまった。『今年の目標なんか立てません。』と投稿したあと、心にモヤモヤを抱えていたのはそこに葛藤があったからだ。
今日実家からの帰りの電車で頭の中をぐるぐる駆け巡っていたのは、この「目標なんか立てません。」という去年のツイートが、「目標を立てて行動できる人」に向けた(無意識下の)嫉妬がベースにあるのではないか、という疑問だ。「目標を立てて行動できること」を対立軸に、「目標を立てて行動できる人間」が「目標を立てて行動できない人間」の上位にあると無意識に捉え、「行動できない人間」側である自分を正当化するために、『目標なんか立てません。』という逆張りのツイートをすることで、嫉妬という感情から目を背けようとしていたのだ。そして、今年の僕は、「目標を立てて行動すること」の意味を実感してしまったが故に、「行動できない」自分を正当化できずに葛藤が表出してしまったのだ。
つまり問題は、きっかけとして最初に書いた「目的的に生きること」と「無目的的に生きること」の葛藤なんかではなく、単なる嫉妬とそれを抑圧しようとする意識(無意識)だったのだ。人生を懸けた嫉妬と抑圧の問題。

疲れたので終わり。とりあえずこんな感じで日々の自分の思考を蓄積していこうと思う。さようなら。
そういえば帰りの電車で見た夕日がとても綺麗だった。


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