2023/01/08

昨日は家に帰って6時間ほど取った睡眠以外の時間はずっと仕事。今日は休みだったけど、年末年始ボケした直後から体力的にキツい仕事が4日連続で続いた疲れで家から一歩も出なかった(だからちゃんと三日坊主を成し遂げた)。

昨日まで忙しすぎて他のことをやる時間が全くない、という状態だったけど、実は今日の内容のタネは一昨日や昨日の帰りの電車の中や、終電後の池袋でラーメンを啜っている間に湧いて出てきたものだ。なんなら最初に頭に浮かんだのは仕事中、作業をしている最中に出てきたものかもしれない。
やることが多すぎてそれに追われている間、僕の脳はフル回転し、興奮状態に陥っている。そしてそうやって忙しければ忙しいほど、業務に全く関係のない考えやアイデアが次々と頭に浮かんでくる。
逆に、今日もそうだが、休日は全く脳は動かない。書くネタも湧いてこない。

普遍性の基底

塾で教える仕事をしていてラッキーだなと思うことの一つとして、国語でいいテクストに出会う頻度が高いというのがあげられる。
獨協大学の国語で、松浦寿輝『平準化と特異化』というテクストが取り上げられていた。
そのテクストの内容の詳細まではここには書かないが、すごくざっくり言うと、情報はただその意味内容を受け取り使い捨てされるだけだが、文学というのはもっと身体を使って味わうようなものでおり、それは現代のグローバル化・情報化社会に対する一つのオルタナティブになるのでないか、といった内容だった。
そのテクストの中に、「「世界文学」は(中略)とことん特異にして例外的なままで、垂直方向にみずからの立ち位置を下に掘り下げ、普遍性の基底に達しようと努めること」という一節があったのだが、この「普遍性の基底」という言葉がすごく印象に残っていた。

忙しすぎて脳がフル回転しているとき、色々な考えやアイデアが次々に湧いてくると言ったけれど、それはたぶん「ポッと出」のアイデアがなんの繋がりもなく出てきているのではない。ある物事について思考が十分に深まったとき、何か他のものごとにも通ずる「普遍性の基底」にぶつかり、その「普遍性の基底」を足場として色々な考えが湧いて出てきているのだと思う。

有限性

そしていろいろな考えを巡らせる必要のあるとき、その考えを巡らせるための条件として、「有限性」がある。人の思考が深まる時というのは、時間が限られていたり、目的がはっきりしていたり(思考の目的地がわかっている)、何か有限的なものによって無限に思考することが妨げられているときだ。(「有限性」は千葉雅也さんの『勉強の哲学』を読んでからぼくの思考や、生徒への指導における大きな土台となっている言葉である)

休日の僕は、無限に時間が使え、何の目的も持っていないからこそ、何もアイデアが浮かんでこないのだ。「時間があれば…」という言い訳は言い訳になっていないのだ。時間がないからこそ、いろいろなことを考えられる。
明日も仕事だ。プレッシャーもあって大変だし時間はないけど、だからこそまたいろいろ思いつくだろうし、楽しみだ。

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