トロッコ問題
2019年6月のブログをリポストします。
この言葉を知ってからと言うもの、
本当の正義とはなんなのか?
なんてことに堂々巡りしてる毎日。
自分の正義が他人にとっては正義とは限らないし。
先日も書いたけど、正義の反対側にあるのは悪ではなくて、別の正義だって解釈もある。
そんな中で自分はどれを選択するのか。
もし他人と違った選択をした時、自分を信じて自信を持って自分の選択した路を進めるのか。
“The answer, my friend, is blowin’ in the wind
The answer is blowin’ in the wind
友よ、答えは風に吹かれている
答えは常に風に吹かれている
ボブ・ディラン21歳の時の詩。
答えは本に載ってる訳でもなく、テレビやエライ人が教えてくれる訳でもない。
常に風に吹かれていていつか地上に落ちてくるが、誰もそれを拾おうとしないからまた飛んで行ってしまう。
答えはいつもどこかを彷徨っている。
ブログ名
匿名希望のKo-yama!! DEATH‼︎‼︎!
URL
http://tadck.blog4.fc2.com
【タイトル】誰かの幸せの裏では必ず
誰かが不幸になっている。
そんな話を聞いた。
どうなのかな。
今の自分にとっては、ちょっとばかし受け入れざるを得ない気がしてる。
あ、これ。
言ってしまえばトロッコ問題みたいなもんか。
何も特別なことではないのかも。
トロッコ問題
自分は線路の横に立っている。
線路の先では一人の作業員が線路上で作業をしている。
そこに操縦不能になったトロッコが猛スピードで走って来てる。
作業員に声をかけても届かない、知らせる方法はない。
すると、自分の目の前には分岐ポイントがあり、ポイントを変えたら一人の作業員は助けることが出来る。
しかし、ポイントを変えたその先には3名の作業員が線路上で作業をしている。
声をかけても届かない、ポイントを変えたら3名は確実に死ぬ。
この場合、3人を犠牲に1人を助けるか。
3人を救うために1人を犠牲にするのか。
自分の中の最善(=幸せ)を選択したのにも尚、死人が出るってね。
自分が幸せになるために誰かが悲しむのってどうなんだろう。
生きる中で度々出会う究極の選択。
こんな世の中だったならさ、自分が幸せになり感じた分、誰かが不幸になってるかもならさ。
いい時だからと言って喜べない?
いや、反対に。
喜ぶ時は人一倍喜び、悲しい時は人一倍悲しむ。
そういう考え方も出来るよな。
で?
だったら自分は1人と3人のどっちを助けるんだいw
都合が悪くなったら雲隠れするんかい?
こんなことばっか考えてるからろくな人間にならないのだろうww
それよりまずは少し寝とけ。
あと3時間もしたらさ、コパアメリカのベスト8第2試合、アルゼンチン vs ベネズエラが始まるぜw
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