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フランスでコロナより気になっている点

ご存知の通りフランス、そして欧州では現在コロナウィルスの第二波が襲っている。フランスでは二回目のConfinement(ロックダウン)が10月28日に発表され10月30日(金)から実施されている。現時点では12月1日までの予定ではあるが状況次第では延長の可能性があり状況次第ではクリスマス休暇もロックダウンが続く可能性があると考えている。

今回のロックダウンは一回目と違いビジネスを回すことも重視しており前回は閉店していた電器量販店やDIYショップ等が営業を維持していたり、公園もオープン、学校も通常通り開校していたりする。市民も前回の経験があるためかそれ程騒がしい状況にはなっておらずスーパーから商品がなくなるということも起こっていない。街中を歩いていても(いつもより人は少ないが)普通に人が歩いておりロックダウン中ということを忘れてしまうほどである。

このようにロックダウン中のフランスだが実はコロナのことより気になっていることがことがある。

それは「表現の自由とイスラム教の対立」である。

ご存知の方も多いと思いますが10月16日にパリ近郊のフランス人教師がイスラム過激派とされるチェチェン系ロシア人の若者に殺されるという事件がフランスでは起こっている。この事件の発端は殺害された教師が「表現の自由」を教える目的で授業中にムハンマドの風刺画を生徒に見せたことだ。イスラム教では偶像崇拝を禁止しておりムハンマドの風刺画はイスラム教徒にとって許されないものであり、そのことを知ったイスラム過激派とされる犯人が事件を起こしたのだ。犯人はすぐに射殺され事件は解決したと思われた。

しかし、本当の問題はここからで殺害された教師の葬儀が国葬となり勲章まで授与され、葬儀の場でマクロン大統領が自由を守るためフランスは風刺画をやめないと発言したのである。このことが発端でフランスはイスラム教徒を敵に回すことになった。イスラム諸国ではフランス製品の不買運動が起こり、ニースではノートルダム教会で3名が殺害されるテロも発生しているのだ。他にもフランス国内ではテロの可能性が考えられる事件も起こっている。(イスラム教徒との関連は不明だが私の住んでいるリヨンでもギリシア正教会の神父が射殺される事件が起こっている。)

表現の自由とイスラム教どちらが正しいのか?

この答えは非常に難しい。もちろん殺人は許されるものではないことは自明だが表現の自由のためにイスラム教徒が嫌がる風刺画を見せるのは果たして正しいことなのだろうか。この問いを考えるためにまずフランスの「laïcité(ライシテ)」を理解する必要がある。

laïcité(ライシテ)とは政教分離を良しとする考え方であるがこの起源は18世紀にまで遡る。18世紀のフランスではカトリック聖職者と貴族という全人口の2%の特権階級が残りの98%の国民を支配する「アンシャン・レジーム」という異常な体制が続いていた。この「アンシャン・レジーム」の体制はカトリック教会と政治が結びつくことで起こったのである。この異常な体制に不満を持つ市民が体制に反旗を翻したのがかの有名なフランス革命であり、この時にに掲げられたのが「自由・平等・友愛」の理念である。市民はこの革命によって自らの政府を樹立しフランスを共和制の国としたのである。その後、カトリック教の巻き返しなど紆余曲折もあったが最終的に1905年に政教分離法(ライシテ法)が成立することになった。

フランス国民はこの経験があるので政治や社会を宗教から解放すること、つまりlaïcité(ライシテ)が重要であると考えている。そのため教育現場でも同様に宗教が入り込んではいけないと考えているのである。

ここで10月に起こったフランス教師の事件に戻ってみる。この事件では教師が授業で「表現の自由」教えるためムハンマドの風刺画を生徒に見せたことに激怒したイスラム教徒の犯人が教師を殺害する行動に出ている。この行為はフランス人的には単なるテロ攻撃というだけでなく公の場である教育現場に宗教を持ち込んだことでlaïcité(ライシテ)の理念に背く行為としても許せないのである。

つまりlaïcité(ライシテ)の理念に基づくと公の場では

表現の自由 > 宗教

という構図が成り立っているのである。この考えがあるのでフランス国民は殺害された教師は正しいことをしておりlaïcité(ライシテ)の考えに背き「表現の自由」を侵したイスラム教を許せないという考えになるのである。

「自由・平等・友愛」の理念からも本当に正しいか?

個人的にはlaïcité(ライシテ)の理念に基づいた考えが本当に正しいのか疑問に思う部分がある。それはフランスがもう一つの理念として抱える「自由・平等・友愛」の考えに反しているのではないかと思うためである。公の場から宗教を排除すべきという点で異論はない。しかしムハンマドの風刺画を見せる行為はイスラム教徒にとっては耐えられないことであり個人的にはフランスが掲げる「友愛」の理念に反していると感じている。

私自身は「自由」「平等」というのは権利で保障されるべきものであるがこれが成り立つのは「友愛」という義務があるからと考えている。これは日本に生まれ育ったから余計にそう思うのかもしれないが今のフランスは「友愛」という義務が少し足りていないようにも感じる。

勿論、上述の通りlaïcité(ライシテ)を実現するため、つまり「自由」「平等」を手にするためにフランスが過去に犠牲にしてきたものを考えるとlaïcité(ライシテ)を最優先に考えたい気持ちはわからないではない。しかし、もう少しイスラム教徒に対して「友愛」を持ってもいいのではないかも感じている。そうすればフランスはもっと良い国になるのではないかとも。

今のフランスはコロナ第二波による二回目のロックダウンの真っ只中にありながらテロの脅威を抱えている。ロックダウンにより市民の不満も増しておりアジア人差別というのも出てきているという話も聞く。そう考えると今後更にフランスの闇の部分が出てくる可能性がある。日常生活をする上ではほとんど感じることはないが自由の国フランスの裏にはいつもこういった闇の部分が付きまとっているのだ。

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