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パデッドな気持ち

愛読書のSPURの付録がマルジェラのパデットポーチで大のお気に入りです。


パデッドって「詰め物が入った」とか「パッド入り」みたいな意味があってなんかあったかいよね。


大好きだったおばあちゃんが亡くなったって連絡があって。色々思い出して少ししんみりした気持ちから中々抜け出せない。

祖父の弟の奥さん。すでに祖父の弟は亡くなっている。

年の暮れにはつきたてのお餅を夫婦で自転車に乗って運んできてくれて。あの頃はお餅が届く嬉しさにかまけていて寒空の中重いお餅を私達家族のために運んできてくれた事にお礼を言う事もなかった。今思うと泣けてくる。今そんなことしてくれる身内はいない。

祖父や祖母がすでに他界していたので「おじいちゃん、おばあちゃん」のつもりで接していた、大阪の数少ない身内である。

幼少の頃は毎年お正月におじいちゃんとおばあちゃんのお宅にお邪魔するのが恒例行事。おせちや鍋をみんなでいただく。

おばあちゃんは座る事も食べる事もなくずっと台所と居間を行き来し食事の準備をしてくれていた。テーブルにはたくさんのご馳走が所狭しと並ぶ。私たちはすぐに食べるのをやめ、子供達で遊ぶ。遊びで疲れて帰ってきたらどっさりおにぎりが作られていた。「おむすび山」が入っていてフワッと握られたおにぎりはとても美味しかった。当時私は極端な少食で母が心配していたがこのおにぎりは5個も6個も食べられた。母はいつも驚いていた。だからいつも「おむすび山」を買うとおばあちゃんを思い出す。

ほどなくして私も思春期となり友達と遊ぶことが最優先となった。そしてお正月にもおばあちゃんのお家に帰らなくなった。おじいちゃんがガンで亡くなったのは私が18歳の時だった。その後おばあちゃんは認知症になったりして全然会わなくなった。遠ざけていた訳ではないが近寄り方も分からず時が流れた。


おばあちゃんのお通夜に行った。この歳になるとどうすればいいのかが何となく分かるようになった。おばあちゃんには娘が2人いて私はこの2人によく遊んでもらった。素敵な叔母さん達だ。20年ぶりくらいに会う叔母さん達は私を見るなり「カヨちゃん、小さい頃と顔が全然違うね!」と笑顔で話しかけてくれた。へへへと愛想笑いしてると母が「この子整形してんのよ〜」と関西ジョークを入れたのだが叔母さん達は「ええええ!???」っと信じ込んでいたので大笑いしてしまった。整形するならもっと美人にしてもらうよ、と言ったらまた笑いが取れたので良しとしよう。


「あの子どうしているかな」「元気だよ」こんな会話をしたり冠婚葬祭に出席する事にはとても大きな意味がある。何も面倒臭がることはない。家族のつながりである。(粗悪なものは省いて)


何となくボソボソと空いていた心の空間がふんわりした綿で埋まったようで暖かい。詰め物は定期的に入れよう。


さてまた通常運転を再開せねば。台風が去ったらまた動くとしよう。


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