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共依存症者の恋愛サイクル②出会いから~幸せ絶頂期まで

前回の記事で紹介した、共依存者の恋愛サイクルの各項目について詳しく話していく。

今回は
① 共依存症者が回避依存症者に惹きつけられる
② 「熱に侵された」状態になる
③ 「救われた」と感じる
についてだ。

つまり、恋愛の過程における出会いから幸せの頂点までのお話である。


① 共依存症者が回避依存症者に惹きつけられる


共依存症者の恋愛相手は回避依存者であることが多い。
というより、回避依存者が相手の時に苦しい恋愛に発展していきやすいのだ。


私の場合は、元旦那との恋愛がどうにもならなくなって、原因を考えてみて初めて自分が共依存者だと分かった。

それまでの恋愛は、共依存的傾向はあったけれど、病的とまでは言えなかったと思う。


回避依存者がどのような人かというのは、また別の記事にまとめるが、愛情を返してくれなかったり、身体的・肉体的な虐待をするような「ひどい人」だと一旦思ってもらえばよい。


共依存者と回避依存者は、なにかの引力が働いているみたいに、お互いを好きになる。

「この人しかいないと思ったんです」「運命だと思いました」
共依存者は出会いを振り返ってそんな風に話す人が多いそうだ。


思い返せば、私自身もそうだった。
「この人のことを支えてあげたい」「この人に必要とされていたい」
そう思った。

元旦那も「他の子とは違うと思ったんだ」「この子だって思った」と、幸せだったころは繰り返し言ってくれた。


私の場合は、ここに婚約者がいて、いわゆる略奪愛だったから、ロマンス依存の様相まで呈していた。


共依存者と回避依存者がどうして惹かれあうのかは、回避依存者の記事で説明するが、簡単に言ってしまえば、心の奥底で望んでいるものを互いの中に見つけてしまうのだ。


② 「熱に侵された」状態になる


「自分の理想の人が現れた」と思い、熱狂的な状態になる。


相手は自分の理想的な「白馬の王子様」で「天使のようなプリンセス」に思えてくる。

共依存者は相手を理想化し、さらに回避依存者はその理想の姿を完璧に演じることができる。


なぜなら、回避依存者は共依存者の望んでいることを、本能的に、もしくは、経験的に知っているのである。


普通の恋愛でも、付き合いたての頃は相手に夢中になるものだけど、依存的な恋愛をする人は、理想化された相手に夢中になっていると言える。


幻想を見る人と、その役をこなす人、お互いに本当の自分自身を見せているとは言い難く、そんな恋愛が幸せな結末に繋がっていくはずもない。

③ 「救われた」と感じる


自分の中にある劣等感、孤独、虚無感、愛されたい欲求など、抱えていた傷みや苦しさ全てから解放されたと感じる。


自分は愛されていて、満たされていて、幸せだと思う。

共依存症者は、普通の人よりも心に痛みを抱えているので、それが癒された喜びは想像もつかないほど大きい。
相手の登場によって、自分は救われ、人生が一変したかのように感じる。


この状態の時は、本当に幸せで幸せで、お互いがいれば何もいらないと思った。
それだけで全てがうまくいくと思った。
世界が嘘みたいにキラキラしていた。


この頃の記憶が、今でも自分を縛っているのが分かる。
だって、確かに二人の間に幸せな時間は存在したから。


他人がなんて言おうが、相手がどれだけ変わってしまったとしても、過去が無かったことにはならなくて、そのときの幸せも嘘になってはくれない。


だから、またそれを求めて、相手の変化を期待してしまう。
そして、裏切られていくのだ。




今回は、①~③までを紹介した。
共依存症者にとっての、少ない、けれど忘れられない、幸せな時期の話である。


この時期のことを思い出すのは、辛くて泣いていた日々を思い出すより苦しい。
いっそ、幸せな時間がなかったなら、どれだけ楽だろうと思うよね。


次回は、
④ より多くを要求するが、満たされない部分もしだいに出てくる
⑤ 自分をごまかすことが難しくなってくる
⑥ ひきこもり
について話していく。


現実に直面して、そして敗北していく過程だ。

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