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#18 人生イチの激痛?! 尿管ステントカテーテル留置術 【まさかの閑話休題、ラストはBRICS】


2/1   13:38pm
看護師さんが、車椅子を持って来られた。
歩けます、と言ったが、麻薬も入れてますし、転倒リスクがありますので、車椅子で移動いただきます、とのこと。
ワタシは、おとなしく従った。

先々週、TC療法中のこと。
自宅マンション前の歩道の、なんでもないところで、すっ転んだ。ヘッドスライディングの格好でズッコケた後、もんどり打って、気がついたら、顔は空を向いていた。
昼下がり、歩道の真ん中である。
膝を強打したが、幸い、擦り傷程度で済んだ。道ゆく人もビックリして固まっておられる。
そりゃそうだ。突如、前の人が、歩道のど真ん中で、エア回転レシーブしたら、誰だって驚く。。

ワタシは、何故か、ベビーカーの母子や、品の良い老婦人など、、周囲の皆さんに「すみません、すみません、」と言って、なんとか立ち上がり、きまり悪く、気持ちはそそくさと、実のところ足を引きずりながら、立ち去った…。

この顛末を、笑い話のつもりで、
入院しのときに、病院の先生にお伝えした。
入院患者には個別の、転倒リスクアセスメントが必須なのだ。
先生からは、
「癌性疼痛、痺れを甘く見てはいけない。二時間正座して急に立ち上がったら、足がもつれますよね、ソレです。大事に至らなくて、良かったですが、もし出血していたら、、、」と、コンコンとお説教をいただいてしまった。
理由があって、専門家が見立てた車椅子移動なのだ。
素人のワガママが、ご迷惑をおかけする事態も起こりかねない。

そう言えば、高校の時の体育の先生が、本当に正しい受け身が取れたら、ビルの7階から落ちても死なない、とおっしゃっていた(8階はダメならしいが、根拠はわからないので、たとえ何階であっても、決して確かめようとしてはいけない)。

いろんな痛みを被って歩くから、歩行は超スローである。これまで、使わないモノだったエスカレーターに乗り、手すりにつかまる。
こうなって、改めて気づくことがあった。
街で道行く人も、いろんな痛みや事情を抱えている。
アポイントの時間に焦るビジネスマンからすれば、スローすぎる人が目の前にいたら、舌打ちをしたくなるようなこともあるだろう。目や耳が不自由な方もおられるだろう。急ぎ足の大きなキャリーバッグが当たって、転倒させてしまったりしたら、取り返しのつかないことになりかねない。
昔は、大家族で、三世代がひとつ屋根の下だったりしたから、お年寄りの身体や動きや、痛みがどんなものかも、若い時分からも自然と理解できたのかもしれない。ご近所の、すこし風変わりな人たちにも、寛容だった。

去年初冬、横浜の近代文学館で井伏鱒二展に行ってきた。併催されていた、広島の原爆を題材にした、井伏の小説の映画化作品である『黒い雨』の上映会にも参加できた。主演女優の田中好子さんが、被曝による脱毛で、不思議な笑みを浮かべるシーンと、
もう一つ、戦地のトラウマから精神病を発症してしまうご近所さんのこと、が、一番印象に残っている。
前にも見たはずなのに、本や映画は、読み手の、年齢という時間的成長と、内面的成長具合、その時の時代の風向きによって、都度、異なる主題を与えてくれるモノだと思う。

映画『黒い雨』について、
戦争や原爆によって、かけがえのないものを、幾つも奪われたやり場のない痛みや苦しみを、生活の様々な角度から描きながら、不思議と淡々と空気感があること。
精神病を患う帰還兵のご近所さんの描き方にあらわれる、理解し難い他者をはじめから排斥しない寛容さ、
寛恕という価値観(残された被爆者がトルーマン大統領について呟くシーンが衝撃的だっだ)というところに、目が向いた。
井伏鱒二の原作を再読しなければ。

一般に言われる「普通」とは、かなりかけ離れたご近所さんをも、自分の生活圏に包摂して生きている地域の人たち。もちろん、ときどき、差別的な事件も起こる。
しかし、基本にあるのは、人間としての、相手への興味や関心なのだ。
いつしか、知られざるその人となりを知るにつれ、思いやりや愛情も育っていく。

誰にでも、死はやってくるもので、主人公はたくさん葬式にでる。地域の誰もが、老いや病による無常も、受け入れて、生きる。
今でこそ、ダイバーシティ(多様性)、インクルージョン(包摂)と、カタカナで言われることは、真新しいことではないのだ。デコとボコが補い合って生きるのが社会(宮台真司の言葉)で、それが本来の姿なのだ。

ちなみに、この、井伏鱒二展。井伏の生涯を、早稲田時代からの友人や、太宰治はもちろん、数多の縁ある人々や、井伏作品との出会いで作家を志した人などの語りで、井伏鱒二の寛容で温かな人柄、機知に富み、ユーモアがあって、人間とブンガクを心から愛した人間の像を、イキイキと浮かび上がらせる、という趣向であった。
ワタシが書き留めた、井伏自身の言葉はコレ。

青春とは、年齢によって風化されない血管の代名詞である

どこで語った言葉であったか、出典のメモを紛失した!

そして、中国、唐代の詩人、于武陵(うぶりょう、と読む)の、「勧酒」を翻訳(翻案と言って良いかと思う)した有名すぎる一節も、ココにも綴っておきたい。

コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

井伏鱒二『厄除け詩集』


何ということだろう?!
尿管カテーテル留置術の、手術室にすら到達していないではないか?!


そして、リアルな今日は、無事に?CCRTを終え、只今、精魂尽き果てようとしているところ…

明日こそ、後編を完成させます。
花に嵐の例えもあるぞ、サヨナラだけが人生だ。

甘い、辛い、といろんな味があるけれど、人生においては、渋味こそ、最高の味だと思う。


写真は、ブラジル、サルバドールの観光スポット、ラセルダエレベーター。素敵だけど、犯罪多発地帯で、辻々に軍人が立っている。警察官は、窃盗などの軽犯罪は見てるだけで、まるで何にもしないからだ。
撃ち合いとか暴動になると、お巡りさんでは歯が立たない。だから、軍隊だと。訪れたのは、2014年だったか。その後の、BRICS各国の変化は凄まじい。

※ 以下が、翌日の追記である。
ワタシはロシアという国と、いまそこに暮らす人の心情を理解したくて、
今、コチラも並行(だいたい、5冊くらいジャンルの異なる本を並行しながら、年間200冊以上は読む)して読んでいるところ。
TC療法が始まって、指先が痺れるために重い本が持てず、ここのところは遅々として進まないが…笑。


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