見出し画像

#25 CCRTシスプラチンvol.3 経営哲学と宗教、祈りと自己規律、あるいは人生のゴールについて

悟りを開かれたあと、お釈迦さまがなさったこと。それは、「歩いて、旅をして、人に会って、問答をすることだったのです」と、哲学の先生が教えてくださった。

27歳で、京都セラミック(以下、京セラ)の前身の会社を創業する以前の稲盛和夫さんは、旧制中学の受験に2度失敗、結核という不治の病を患いつつ、大学も就職も希望は叶わず…、と、不運と失意と挫折、苦難の連続の中に生きておられた。
ひょっとすると、このことは、稀代の名経営者との名声や、世界中から尊敬を集める輝かしいご功績ほどには知られていないかもしれない。(5年くらい前に聞いた話だが、中国の若手起業家はみんなこぞって、稲盛和夫や松下幸之助の『道をひらく』を真剣に読んでいる、という。これからの日本は、そういう彼らと世界で渡り合わなければならないのだ…!)

稲盛さんは、ご自身の不幸な時代の想念が、人生哲学の “必死の勉強”へと誘う、旅の扉を開いたことを、次のようにお話しになっている。

そのような全く不本意な人生を歩む中で私は「人生とは何か」「人間とは何か」を深く考えるようになり、仏教やその他の宗教・哲学の勉強を必死でするようになった。また、京セラ創業以後は、「集団のリーダーとはいかにあるべきか」を日夜真剣に考え続けた。

稲盛和夫『講演録 京都仏教会・会報59−2』


京セラを世界的大企業に育て上げ、KDDIなど有数の企業を経営、日本航空の再建にも尽力された経営の神様だが、その経営哲学は、「必死の勉強」と「日夜真剣に考え続けた」という、精神の鍛錬と修養によって、体得されたものなのだ。

と、こんなところで自分の話を挟むのは、身も縮こまる思いがするのだが(と、言い訳をしてから、語り出すあたり、だからユミヲは鬱陶しい・・・と嫌がられないかオドオドしています・・・、でも、書かせてください…。)、
キャリア前期、勤めていた外資系の製薬会社から管理職昇進の内示をもらった。

ワタシはまだ28歳で、当たり前のように、「所長になんてなりたくありません!前例もないのに、務まるはずがありません。下駄を履かされて、それ見たことかと大失敗するのは、嫌です。ワタシも、ワタシのような上司がきたら、絶対に嫌です。」と、全方位から、拒絶する言葉を並べた。

当時の製薬業界には、まだいわゆる「接待」とか「懇親会」というのがあった。早朝の特約店周り、あるいは病院の面会枠の争奪戦(6時台に始まる)から、昼の情報提供(営業)活動、昼下りのランチ休憩のあと、午後訪問をこなして、夜は講演会か接待か勉強会、というのが外勤日の通常勤務パターン。1日の稼働17時間はフツーというモーレツ社員がひしめく業界だった。

ワタシもその一員として、担当する病院の先生方との出会いに毎日トキメキながら(実のところ、大失敗をしでかすばかりだったけれど、立派な先生方からは、お叱りとともに、日々、新しいことを教えていただけるのだ。お給料を貰えるのに、自分を磨けて勉強ができる、こんな素晴らしい仕事はない、と心底幸せに思っていた)、頼りになる先輩、上司同僚に恵まれ、ワタシもモーレツに働いた…と思う。今から思えば、まだまだ狭量なものだと思うけれど、考え方と熱意次第で、人より先に行けるのが快感だった。誰よりも仕事が好きだった。

そんな職場環境だったから、女性所長というのも、まだ珍しいものだった。

昇進の内示を拒むワタシに上司がかけてくれた言葉は
「大丈夫だ。リーダーシップは訓練だ」という言葉だった。
また、こうもおっしゃった。

やる前から、何も決める必要はない。機会は、平等に与えられるものではない。だから、手を挙げ続ければいい。どうしてもダメだったら、その時に止めればいいだけだ。この機会を掴めれば、誰よりも早く走れるぞ。
と言ってくださったのだった。

ダメだったら、御免なさい、でいい。
誰よりも早く走れるぞ、という言葉が、心に、すっと入ってきた。

その後、いくつかの資格試験を受けて、本番の試験も無事合格(インバスケットという負荷のかかる状況下での業務遂行能力を測る試験とか、面談ロールプレイや、グループディスカッション、役員面接がいくつもあった)。
適性?から、営業所長ではなく、支店長の補佐的な、戦略プランニングマネージャーのポジションを拝命した。
が、、半人前のワタシは、自分自身の不甲斐なさについて悩むのが精一杯で、リーダーシップなんぞ利他的テーマには、ついぞ行きつかず。なんとかそこに居るだけ、、、という、自分勝手に苦しい2、3年を過ごした。

思えば、ヨガと出会ったのもその頃だった。もっと、早く、学びを深めていたら違ったかもしれない、とも思うものの、その後、未熟ゆえに経験した数多の失敗と挫折が、今、この人生を創ってくれた。

人は知らず知らずのうちに、
最良の選択をして人生を生きている。

20年も前のある日、ラジオの投書で読まれたある人の言葉。
その日、ワタシの心は、この言葉を
そっくりそのまま写しっとって、深くにしまった。


稲盛和夫さんは、臨済宗妙心寺派の専門道場とされる円福寺で得度を受けられている。
日本経済新聞の『私の履歴書』で読んだと思うのだけれど、真冬に托鉢もご経験されている。ご婦人が、百円玉を差し出し、「これでパンを買って食べてください」と仰った、というエピソード。寒空に佇む僧侶が、経営の神様だとは知る由もなかっただろう。

「利己、己を利するために、利益を追求することから離れて、利他、他人をよくしてあげようという優しい思いやりをベースに経営していきますと、会社は本当によくなります」

稲盛和夫『成功の要諦』致知出版社、2014年


宗教と哲学の違いについて、絶対神や教義、経典の有無だとか、類型的にはさまざま差異はあるが、本質のところ、特に、問い、は究極的には同一である、というような学者の回答も読んだことがある。また、細かい教義教典に細分化される以前の初期仏教は、哲学的であり、かつ、極めて科学的であり、#16でご紹介したヨンゲイ・ミンゲール・リンポチェは、宗教者側からも橋渡しをしてくれる数多くの先人に続くお一人でもある。

何の為に生きるのか。人生の目的は何か。人として、これだけは守るという自らに課すもの、矜持とは何か。
そして、理想とする生き方、人生のゴールへと邁進できますようにと、祈る、思い。

名古屋時代にご縁をいただき、現在進行形の大恩人である記者のヨシキさん。世界中の名士とお繋がりを持つ、とてつもないご人脈の持ち主でおられるのだが、先日、長年の友人と会ってきたんだよね、と教えてくださった。

その名も、藤井正和さん。ホンダワールド代表取締役会長。オートバイの世界耐久ロードレース選手権(EWC)にフル参戦、2度の世界チャンピオンを獲得したF.C.C. TSR Honda Franceの総監督でもある。現在は、鈴鹿とバルセロナの2拠点生活を送られている、業界のレジェンドである。(ご経歴の詳細はこちらをご参照賜りたい)

ヨシキさんは、藤井さんにご自身のこれからのことを少しお話になられたそうである。そこで貰ったアドバイス、という金言を、ワタシにもお裾分けくださったのだ…!!

ゴールが決まってるなら、
そこに向かって突っ走るだけだね。
世の中、ゴールの見えていない奴が多い。
だから、右往左往するんだよ。

藤井正和さん語録(ヨシキさんによるキキトリ)

ヨシキさんがおっしゃっていたけれど、「レース屋さんらしい」アドバイス。
ありがとうございます。

昨日、めでたくCCRTシスプラチン第3クールの投与が無事終了。そのことをご報告するつもりが、ヨシキさんのおかげで、人生哲学について書くことができた。
こちらも、ありがとうございます。第3クールの戦績は、別稿にて!

写真は、2022年8月、富士スピードウェイで行われたスーパーGT第4戦(予選)。母に生レースの迫力を見せてあげたくて、行ったのだった。音、振動、物凄いスピードに、歓声をあげて喜んでくれたのが、とても嬉しかった。
目の前で、ポルシェがクラッシュして、アレ、おいくらかしら、と、しきりに気にしていた…


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?