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#31 CCRT完走ならず?!鍋底景気に白旗も、教わった大切なこと。

愛する皆様。いつのまにか二月は逃げ、弥生三月も去り、満開の桜も舞い散るときとなりました。しばらくの音信不通にご心配のメッセージをくださった方々もたくさん。。
この度の筆無精を心からお詫びいたします。

ちょうど#30を書いたあたりからの1ヶ月というもの、毎日の時間を過ごすこと、そのものが苦痛に近い状況に陥っていたワタシは、トボトボと人生の底を歩く気分でいたのでした。

底といっても、すき焼きをやるような平鍋の底。
底が平らで、大きい。。
雪平鍋程度の可愛いサイズではない。。

それでも、人生は、いつも、何かを教えてくれる。
底から脱して、陽の暖かさを再び感じられるようになった今だから言えるのかもしれないけれど、昨夜、未明に目覚めた時、ワタシは感謝し、祈った。
苦痛のない夜をありがとうございます、
ワタシに、人への愛情というこの世でもっとも尊いものを教えてくださり、ありがとうございます。と。


2月冬眠の顛末はこうだ。
腸炎(一日中の腹痛や下血を伴う激しい下痢)でモノが食べられなくなって、みるみる元気が無くなるのだけど、治療は続く。
骨盤内の癌をめがけて放射線を照射する毎日の放射線治療、それに週に一度のシスプラチンを重ねる全6週間のCCRTが、まだ折り返し地点に差し掛かったころだ。

放射線治療が終われば腸炎は良くなる。
身体の為にも少しは食事をとって。

先生の言葉を信じて頑張るのだけど、苦痛が続くと元気もなくなる。体重は39キロを切っていた。ここまで来ると別人だ。ホネカワスジエモン。

その時の、長島藩と放射線治療チームの目下の目標は、この、25回の放射線治療のあとに、国立がんセンターで、RALS(ラルス)という、密閉小線源放射線治療を3回行い、完治を目指すことだった。この治療、仙骨麻酔と鎮静剤を使うので半日の日帰り手術、のボリューム。それを、二、三日のインターバルを開けながら、3回やるのだ。

ラルスは、骨盤内の腫瘍そのものに身体の中から数箇所、針を刺して、そこから高線量の放射線を当てる治療だ。
身体への侵襲も高いので、全身状態が不良では受けられない。ラルスに向けて体調を整えようにも、余力なし、持ち駒なし。無い袖は振れず。
アントニオ猪木の元気ですかぁーの、肝心の元気も、カラ元気さえも出ない。

そんなこんなで、ワタシは初回のスケジュールをすっかり逃してしまった上に、
23回目、24、25回目の放射線治療に重ねるはずだった最後のシスプラチンも、受けられなかった。
免疫の落ち切った身体は、治療に耐えられないという判断だった。

すっかり鬱ぽくもなって、明るい展望を持てずにいたワタシの唯一の支えが、毎日来てくれる母と、あちらこちらから見舞いに来てくれた親戚、友人などの愛する人たちだった。
可愛い寄せ書きも届けて貰った。フカフカのパジャマ、願い事を叶えてくれる御守り。笑顔、楽しい会話。
ワタシがどんなに落ち込んでも明るい母。
ワタシの身体を気遣いながら、メッセージをくれる素敵なお友達。

こんなにも、優しくて思いやりのある人達に囲まれて生きていて、ワタシはなんて、幸せなんだろう。
ヒトはどうして、こんなにも、誰かのことを思えるのだろう。
一人じゃないということを、ヒトは何故、いとも容易く忘れてしまうのだろう。

一瞬でも、病床にある以外の、本来の自分を取り戻せて、助かった。あの時間が貰えたから、その後を切り抜けられたのだと思う。

今なら、少しの実感を込めて言えることがひとつ。
本を読んで知っている言葉ではない。
体温がある言葉として、わかる。
やっぱり、降り止まない雨はない。

写真は、大好きなリエコさんが、先月、北陸の復興応援に行かれた時のお写真。季節は巡る、着実に。




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