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#19 人生イチの激痛?! 尿管ステントカテーテル留置術 、チラリと大谷翔平【本日は番外編、完結編は#20にて】

どうせ脱線してしまうのだ。
せっかく、貴重な時間を割いて、ユミヲnoteをご覧くださる貴重極まりない方々、天上の慈悲をお持ちの方々に、せめて、コイツはいま、いつの、なんの話をしている?との混乱を生じさせてはいけないので、はじめに宣言させていただきます。

ごめんなさい!
人生イチの激痛⁈ 尿管カテーテル留置術の完結編はこの次にさせてください。


なぜなら、、、

昨日の#18 「BRICSの変化は凄まじい」なんて恥知らずな言い捨て。BRICS(念のためのご注釈、ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカのことです)とまとめて、ロシアに触れないのは、酷く無責任だったなと反省し、少し、文章を書き足した。
昨年秋、ロシア側の死者は27万人とロシア国営は発表。両軍と合わせて、死者は既に50万人を超えるとの推計が年末に出されている。それでも、戦争が、止まらない。国際社会も止められない。

なぜ?
ロシア国内のプーチン大統領の支持率も高い。
なぜ?

そういうものを、理解不能と切って捨てるわけにはいかない。そんなことでは、分断は決して超えられない。
夜中、ふと、そのことを自覚し、大汗をかいた。
激しい猛省とともに、このページを書いている。

そこで紹介した、スヴェトラーナ•アレクシェービッチの『セカンドハンドの時代』について。
このノーベル賞作家の『戦争は女の顔をしていない』『チェルノブイリの祈り』は読了した。この3冊が、ユートピア三部作と呼ばれているのだが、『セカンドハンドの時代』は、ソ連崩壊後の、いまのロシアを生きる市民の声の集積である。ものすごく分厚いポリフォニー(多声的)から、中心を捉え抜く整理が難しいのと、痺れる手指で、この信じられないほど重い本を読み進めるのが難しく、もう少し、後で、手引きをいただなる本を読み通した後で、「蛮勇を奮って挑戦(榊原先生はいつも、そうやって励ましてくださった)」したい。


今日は、中東、イスラム教、ムスリムについての初心者向けに卓抜した指南書を見つけたので、先に、昨日の思いの補足としてご紹介させていただきたい。

では、唐突に。

先入観は、可能を、不可能にする

皆んなが大好き大谷翔平の座右の銘

この座右の銘を教えてくれたのは、「原発を止めた裁判長」の、樋口英明裁判長。去年の秋に出掛けた『原発を止めた裁判長、そして原発を止めた農家たち』の自主上映会のトークショーでお聞きした。このお話は、3note分になるので、断腸の思いで、ココのS.A.(またどーでも良い小ネタ)はスルーで…。

ウクライナで戦争が始まってから、ハマスがイスラエルに大規模な攻撃を行い、ガザが戦場になっている。
非情な事実は、犠牲者の大部分は、ガザの一般市民であることだ。

何が起こっているのか。
実地の戦争と、メディア報道を含むサイバー空間の情報戦争というハイブリッド戦争で、もとより多面体の事実を把握するのは、困難だ。

ワタシは、マインドフルネスのところでご紹介した、荻野純也さんが主宰するWisdom 2.0のメルマガで、『ガザ 素直の日常』の上映会を知り、観てきた。昨年12月のことだ。
天井のない監獄、と呼ばれるガザ地区の中でも笑顔で明るく、ひたむきに生きる人々の暮らし。若者のたちの夢、願い、、、。それらが、無慈悲に、一瞬のうちに砕く暴力と戦争。
壁を隔てたイスラエルの市民も、街中でいつテロに巻き込まれるかわからない恐怖と隣り合わせて生きている。
世界の一隅に、このような生活を強いられている人達のことを、ワタシは恥ずかしながら、報道で、知っているつもりで、まるで、知らなかった。

そして、先日読んだ本で、ワタシは、イスラム教やその信徒であるムスリムに対して、完全なる偏見を持っていたことを痛感したのだ。知識として、色々とインプットしていたつもりだったが、それは、米欧の歴史文脈(History=His Story)からの、一面的なインプットだったのだ。
「無意識のバイアス」より、「知っているつもり」は、自覚的で、意識的であるだけに、罪が重い気すらする。そうか、MetaやGoogl先生は、この個人の主義趣向を本人以上に正確に把握し、「こういうのお好みでしょ?」と、その信念を強化していくのか。得心した。


ワタシが囚われていたのは、まさに、先入観だった。
ワタシの先入観は、イスラム社会やそこに生きる人の、想いを理解する可能性を、完全に削いでいたのだ。

その先入観に気付かせ、イスラムをもっと勉強してみよう、もっと見てみよう、触れてみよう、と思わせてくれたのがこの本。

ちなみに、朗読サービスのAudible でも聴ける。

国民国家に従事しているのではなく、一個人として、アラーという神と契約し、規律に従って生きるイスラム教徒。だから、国を超えた連帯が生まれる。
そういう、根源からなる、大きな流れを理解しなければ、いけなかったのだ。
この本は、ワタシは自分の先入観を気付かせてくれた。いつか、イスラムを旅して、ムスリムのお友達を作って、いろんな話をしてみたい。そう、熱望している。


写真は、東京都北区 飛鳥山公園にある渋沢栄一史料館ととも見学できる、青淵文庫の壁面に貼られた原寸大の渋沢先生。
この方こそ、なんの先入観にも捉われず、不可能を可能にした先人のお一人であったのではないだろうか。
世界中に友人を持ち、生涯、福祉事業を最と重要な事業として大切にされ、日本の礎となる経済基盤とともに、「社会共通資本」(愛する宇沢弘文先生!!、また次の次のNoteぐらいでご紹介させて欲しい!!)を創造された。

維新の志士は、みな、そうだったのかもしれない。

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