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子供のためのオルセー美術館(38)ベルナール・畑にある三角のはなあに?/収穫のとき
絵かきの エミール・ベルナールは
モン・サン・ミシェルの近くブルターニュの小さな村に行きました。
村の畑で働く人を描きたかったのです。
そこは 海の波の音が聞こえて
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浜辺の向こうには 四角い箱のようなピンクの家がいくつも見えます。
![](https://assets.st-note.com/img/1696423719836-zuYeMb7DNV.jpg?width=800)
おもしろい形をした三角みたいなのは
干し草の わらの山
![](https://assets.st-note.com/img/1696423721649-afWeRySCKw.jpg?width=800)
畑で働く人たちは 今、大忙し!
みんな何をしているのでしょう。
大きなカマでたくさんの わらをかり取っていた
黒い帽子のおじさんは ほっとひと休み
ザッザッザッザッ…
かられたばかりの草をかき集めてすばやく束にしていく人たち
下を向いてて顔も見えません。
あっという間に 大きい束になってきた!
![](https://assets.st-note.com/img/1696423723187-ruvdNvz0m8.jpg?width=800)
つみきのような三角や四角いかたちの 積みわらや村の家
そこで働く ブルターニュの人たち
ベルナールの畑の絵は、こんな絵になりました。
![](https://assets.st-note.com/img/1696423724653-dl4cy0bltY.jpg?width=800)
エミール・ベルナール
海辺の収穫 1891
Émile Bernard
Moisson au bord de la mer 1891
1886 年から 1893 年の間、エミール ベルナールは定期的に家族を休暇に連れて、モン サン ミシェル湾とサン ブリュー湾の間にあるブルターニュの小さな村、サンブリュアックに行った。彼がゴーギャンに初めて会ったのは 1886年、その後1888年に再会そこで2人は、伝統的な遠近法を捨て、ステンドグラスの鉛細工を思わせる暗い輪郭で縁取られた平坦な色の領域を使い、形を根本的に単純化する技法を共有した。
ブルターニュ滞在中、ベルナールは、高名な農民画家ミレーのように、農民の日々の仕事に目を向けた。風景、つみ藁の山、家々、そして働く男たちはキャンバスを彩る色彩の形だけを残すために、細部を削ぎ落とし大らかに描かれている。その仕草の美しさと風景の美しさは、1892年に出版されたイギリスの作家ヘンリー・ブラックバーンの著書『芸術旅行』で表現されたブルターニュの描写をよく表している。ここで私たちはジュール・ブルトン、ミレー、トロワイヨン、ローサ・ボヌールといった牧歌的な情景を描いた画家たちのことを思い出す。
1891年春、ベルナールは、ゴーギャンと対立した。ゴーギャンが幾つもの展覧会に出品したことによりポン-タヴァン派が考えた新しい美学の功績をすべてゴーギャンだけで独占していると非難したためである。
この絵は、1892年のサロン・デ・ザン・アンデパンダンで批評家ギュスターヴ・ジェフロワが「荒々しい人間性」と評価したように、この非常に力強く幾何学的な絵画で、彼はセザンヌにさらに近づいていった。
お読みいただきありがとうございました。
ベルナールは、ゴーギャンとの決別の後、1893年エジプトにも移住しそれ以降イタリア絵画のラファエロやプッサン、ベラスケスなどの昔の巨匠に触発され画風も変わっていきます。
この絵に登場する人物は顔もなく単純化されていますが、地面に這いつくばり厳しい作業をする農民たちが、ブルターニュの村の風景の優しさに救われるかのように描かれています。
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