経済と人命、確率との間で(イベント自粛について)

少し前に、センバツ高校野球の中止が決定した。結論から言えば、個人としてはやむを得ない決定であると思う。一部界隈で有名なアマチュア野球ファンが開催すべきだとの論調があったが、論拠に乏しいものだと思ったので書く次第である。以下に彼の主張の私なりの要約を書くことにする。間違っていたらお詫び申し上げる。
「高校野球はアマチュアスポーツとしては異例の老若男女を問わない人気コンテンツ(のひとつ)である。高校野球はブランド力があり、「ヒト・モノ・カネ・情報」を大きく動かすものであり、他のアマチュアスポーツと比較して1歩抜きん出ている代表コンテンツなのである。その代表コンテンツたりうる高校野球が然るべき対策を取り、開催に踏み切ることこそが、リーダーコンテンツとして前例を作ることになり、時間的に後のコンテンツたちへの対応の可能性を示すことになる。つけ加えていうならば、大震災の時も適切な対応をして、開催にこぎ着けた。だからこそ、リーダーコンテンツたる高校野球は適切な対応を取り、開催するべきである。」

要約すると、こんな感じだと思われる。しかしながら、疑問点が何点か沸いてくる。少しそれらについて考えることを述べたいと思う。

第一に、そもそも適切な対応とは何かという話である。無観客でやることだろうか。それとも、検査体制をしっかり充実させることだろうか。はたまた、その両方だろうか。感染症対策として知見がない一介の人間に考えられるのは、おそらくこの辺りだと思われる。センバツも当初は無観客開催を検討(メディアの報道だと開会式の縮小や中止も検討されていたはずである)、おそらく関係者への検査体制の充実も盛り込まれていたことだと思う。しかしながらそれらは、当初の政府の一大イベントの自粛要請が、センバツ開催期間に重なっていなかったことが理由としては大きい。それが、政府要請の期間が延長されたことによって重なってしまう日程が出てきてしまった。こうなると、老若男女問わない人気コンテンツである高校野球は当然「一大イベント」に該当するのであり、「自粛」つまり、中止せざるを得ないのである。

第二に、震災の時も工夫して開催したから、今回も同様に開催すべきであるという論調が果たして成立するのかどうか疑問である。震災の時は、震災関連によって数多の方々が亡くなられたのであって、震災後のセンバツが原因でなくなられるなどというケースは、おそらく確率的には微々たるものであり、まずこのような事態が発生するとは考えにくい(自身の信条から絶対とは書かないことにしているのでこういう表現にしている)。
しかしながら、今回は感染症である。それもまだ終息していない。ましてや、死にも至る可能性がある感染症である。震災の時とは明らかに属性が違うものである。センバツ開催は、先の主張にもあったように「ヒト・モノ・カネ・情報」が大きく動くものであり、例え開催でヒトなどを制限してもそのヒトを0にする限りではない限り、感染拡大のリスクは付きまとうのは言うまでもないことだろう。ヒトの移動を0にすることが感染拡大への抑止に他ならないのであって、それをできる限り少なくするというのは次善策に過ぎないのである。その次善策の結果、全国的なクラスター感染が発生するリスクは大会の特性ゆえ大いに考えられることであり、そのような事態は避けるべきであることは言うまでもないだろう。

このような疑問点が解消されえない限り、私は中止をやむを得ないことであると考える。誤解してほしくないのだが、私も高校野球は好きであるし、球児たちのことを考えるのであるならば、開催したいとは思う。しかし、時期と原因が原因なのである。感染終息の妨げや人命の損失になってしまっては本末転倒なのである。
最後になるが、センバツ出場校組の救済措置について触れておきたい。現在、様々な措置が検討されていると聞く。しかしながら、この措置検討も感染の終息がなされない限り、時間のリソース等不確実なことが多く付きまとってしまうのが現状だ。試みとしてはとても良いことだと思うが、少なくとも新型コロナウイルスの感染終息が確認されるまでは焼け石に水感が否めないと考える。一刻も早い終息、そしてその後の各種イベントの素晴らしい熱狂を願ってやまない。

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