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敢えてぬかるみをゆく シンガー馬場俊英との人生の交差

馬場俊英というシンガーソングライターを知っているだろうか。
2007年のNHK紅白に出場したことがあると聞いても、ピンとこないかもしれない。

私が彼を知ったのは、2006年の師走のこと。仕事のストレスからうつ病を患い、5年目を迎えた頃だ。
圧倒的なライブパフォーマンスを魅せるシンガーがいる、という噂がどこからともなく流れてきた。

名前しか知らずに参加した、初めてのライブ。
キャパ400人ほどのホールで、私は彼の言葉とエネルギーを全身で感じていた。
彼の内面に混在する優しさと毒、社会に渦巻く光と闇が描かれた曲の世界。会場を和ます天然トーク。
私は今、間違いなく世界で一番しあわせな人間だと思った。

高校時代から音楽活動を始めた馬場さんは、28歳で遅いメジャーデビューを果たす。しかし時代の波に乗れず、4年後、レコード会社から契約終了を告げられた。

音楽を諦められない彼は、ビル清掃のバイトをしながらライブとCDの自主製作を続けた。
ライブを開いても、1人も客がこない夜もある。それでも音楽に喰らいつく彼のまわりに、少しずつ人の輪ができ、馬場さんの歌と言葉はゆっくりと人々の心に届き始めた。
そして2005年、彼は38歳で異例の再デビューを遂げる。

その後、ある曲が人気番組のテーマソングに抜擢されたことを機に、「再チャレンジの星」としてメディアがこぞって彼を取り上げ始めた。
瞬く間に時の人となった馬場さんは、名曲『スタートライン ~新しい風』を紅白で披露する。
私が出会ったのは、ブレイク直前の彼だった。

30代を迎え、私のうつ病は急激に悪化していく。そんなとき無理を押して参加した馬場さんのライブで、私は具合が悪くなり、終演後に横たわったまま動けなくなった。

友人たちとホールスタッフ、レコード会社の担当者の方が話し合い、救急車が呼ばれる。会場のロビーでサイン会をしている彼の横を、私はストレッチャーで運ばれた。

自宅に引きこもり、茫然と日々を過ごす。大好きな馬場さんと、多くの人に迷惑をかけてしまい、ショックで泣くことさえできなかった。
そっか、人はこんなに悲しいと涙も出ないんだ。もう二度とライブには行かない。誰にも迷惑をかけたくない。

そんな折、一緒にライブに参加した友人からメールが届いた。

「あの後、サイン会で馬場さんに、リンが『馬場さんに申し訳ない』って言ってたこと、伝えたよ。
馬場さん、『ありがとうって伝えてくれるかな』って言ってたよ。
外に出ることを怖れないで。また一緒にライブに行こう」

「お大事に」でも「気にしないで」でもなく、「ありがとう」なんだ……。
2人の言葉が嬉しくて涙がこぼれた。

彼の歌にこんな歌詞がある。

『春の色は 雪解けの水の色 ぬかるみの道を選び 歩くときがある』

暗く凍える冬が明け、人々が歓喜に包まれる春に、彼は敢えてぬかるみの道を進む。
それが馬場さんの生き様なのだろう。

彼の歌には時折、泥やぬかるみといった言葉が使われる。
『泥くさく歩いてごらん』
そんな言葉に私はなぜか、強く惹かれてしまう。


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