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メンタル崩壊。

12年前突然叔父が亡くなった。
大好きで 私の父親代わりだった叔父。
叔父は 建設業の会社を経営していた。
そのころ 子育て中だった私は男性ばかりの
その職場で「暇だったら 手伝いにこい!」と半ば強制的ではあったが 
「大好きな叔父さんの会社だし~♪」くらいのお気楽な感じでは働き始めた。
そこでは、男性達が体を酷使して働いていた。
初めてみた世界だった。
男まさりな私は一瞬で男性に対する見方が変わった。
女性との違いもはっきりと理解できた。
男性と女性は平等だという発言を容易にできなくなった。

差別と区別
昔からそんなことを考えてはいたが 私は性別に対して憐れみみたいな感情を抱くようになっていた。

その世界は男性優位な社会。
女性蔑視も確かにあった。
何度となく 私も味わってきた。

でも 男性優位の社会であっても その男性達の中にも階級があった。
奴隷制度。
私の眼にはそうにしか見えなかった。

それとは 逆に男性達は女性という看板を背負っているだけで
すごく優しくもあった。
私は外で働く解放感と男性の中で働く心地よさのなかでどんどん仕事を覚えていき 頭角を現し始めていた。

働き始めて 2年くらいして叔父が亡くなり アルバイトだった私が跡を継ぐことになった。
普通だったらありえない選択だった。
でも なぜか 私は私がやるしかないと感じていた。

12年たった今考えると 私はみなを憐れんでいたのかもしれない。
毎日毎日 ドブネズミのように汚くなって働いていた。
学歴がないから、ほかに行くところがないからと 常に命令通りに動くことを強要され そこになんの疑問ももたず働く人たちに おこがましくも 私が人間らしい生活をさせてやる 学歴なんて関係ないくらいのお給料を払ってやると憐れみをもって接していたのかもしれない。

今 その従業員は誰もいない。
私のメンタルと連動してるかのように 会社も崩壊した。

私はみんなのために働いていた。

親会社のため。
従業員のため。
その家族のため。
子供のため。
親のため。
みんなのお金のため。
そんな可哀そうな社会を変えるため。

言葉にするとかっこよく見える。
でも 今思えば 肝心の自分のことを大事にできてなかった。
会社軸、他人軸、親軸・・・
 
人のためなんてやってきたつもりだったが 結局は自分のエネルギーが枯渇して 人に会うのも嫌になった。
家にこもるようになった。
うつだったのかもしれない。

そして 気がつけば そんな何もかも嫌になった自分から2年以上たっていた。

たくさんの固定概念で自分を縛り付け 自分で自分を苦しめてしまっていたことに気が付いた。
変わってるね。
女だからね。
まだ若いからね。
なんて 相手にとっては本当に何気ない一言に傷つくくらい
自分にプレッシャーをかけてしまっていたことにも気が付いた。
若いシングルマザーだったこと 女性経営者だったこと。
 
自分のことを何もわからないままチャレンジし続けたことで
本当に自分を消耗してしまった。
 
でも今は この本当に辛かった経験を生かして 
最愛なる子供達にコーチングの学びを
生かし ともに経験することができている。

こんな最高なことがあるだろうか。

以前 大変お世話になっている社長に言われたことがある。
「こいつは 根性が半端じゃない。」

なぜか私はそんな自分軸を失っていたなかでも 自分をあきらめることだけはしなかった。

だから今 救いはたくさんあると信じている。

だいぶ 引きこもった。
エネルギーチャージした。

潜在意識に叩き込む。

私はできる。私は最高。私は完全。

何度も何度も唱える。


きっと 夢は叶う。。 







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