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経験からひも解く ~自分を生きるための道

心でしていることに気づく

突然なのですが、長年葛藤してきた色々について一つの理解を得たので、この年末にまとめておきます。

自分はいわゆる毒親持ちで自己否定感が強く、自分を知りたい、自分を生きたい、こればかり考えて生きてきました。
子供の頃から生きづらかったのですが、その気持ち悪さやプレッシャーが何なのかわかるはずもなく、思春期はたびたび親と衝突したり諦めたりの繰り返しをしていました。
今思えば、親は悪意なく私がどんな子供かも考えず、無神経に傷つくことを言う人たちで、親との考えや価値観の違いにずっと傷ついていました。
過緊張でいつも頭が混乱していました。自分が分かりませんでした。
自分を殺して家族に仕えるみたいな生き方をしていましたが、二十代半ばでいよいよ「自分の好み」がわからないことに気づいたことから耐え難く、アラサーの頃に家を出ました。
当時も必死でしたが、物理的に逃げ出すしか方法がなかったし、生活の色々を自分で決めざるを得ない状況を作ったことは良かったと思います。
それで簡単に終わる話ではなかったですが、私は日常的に攻撃されたり傷ついたりすることなく、安全に、自分の考えをまとめる場所と時間を確保することが出来ました。

前回書いたハタキを買って掃除した後、色々と思う所があり、長い間回り道してきたことの一つの答えを得た気がしました。

拗らせている、ひねくれているというか
妄想で社会に見せようとしている自分がありました。
私は平気なんだとかこういう人なんだとか、そういうストーリーを妄想で展開して自分のイメージを作り、自分を作って守ったり装ったりしていて
欠点だらけ、社会的にヤバい自分を、平気だと思おうとしていました。
それを繰り返し繰り返し何度も頭の中で上映して自分を守って来て、結局のところ、何も変わらない、変わらないままでした。
それは自分を縛り付けるための癖でしかなかった。
悪癖です。
それが癖ということにも気づいていなかったし、やめられることにも気づいていませんでした。
いや、やめたくてもやめることが出来ず、自分を攻撃したり追い詰める妄想も含め、そういうことをずっとしていました。
まるでそれが自分の存在意義のようにやっていました。
私は自分を愛の対象にしていませんでした。だから大体自分を思う時は頭の中で自分を罵倒する時や洗脳する時でした。

想像の世界へ逃げるのは子供時代に身に着けた逃避だったと思います。
それを使って創作をする趣味を持ち、喜びを得ることもありましたが、逆に自分を縛り付けることにも使うことが多く、想像力の使い方として、自己洗脳をするのは良くない癖だったと気づきました。

自分の本心にはせめて自分の中で気づいて認めた方がいいかも

過度の自己否定から逃避するための自己洗脳。
思考回路がマトモな人なら、この構図は拗らせに次ぐ拗らせだと理解出来るかと思いますが、自己否定感が強いと、自己洗脳が自分をいい方には向かわせないということに気づけませんでした。
何が悪いかというと、自分の本心を見ることが出来ないという致命的な損害に気づいてないということです。
もっと言えば、「本当の自分を知らないのは、人生における損失だ」ということです。
自分を偽って「私はこんな人だから」と装う方が実はずっと恥ずかしいはずなのに何をしてたんだろう。
私は現状の自分を恥ずかしく思い、装うことで平気なふりをしていました。
人は色んな欲を持っていて当然だし、聖人君子じゃない。
もし自分が誰かの本心を聞いたってそれを馬鹿にすることはしないと思います。それがその人のかけがえない個性だとわかるし、私は優しい人間なのでそのことで人を笑うことはしないと思うのです。
私が優しいということは、きっとほとんどの人も人を笑うことはないでしょう。
そんなわけで、私の中にある、色んな見栄を取っ払った、本当はこうありたい、こうしたい、これが欲しい、そんな本心はありのまま、誰かに言う必要もないですが、ただ自分の中では認めてあげていいのかも、と思いました。

ホ・オポノポノふたたび

本心を知り見守りたい自分に気づいた後、ずいぶん前に、ホ・オポノポノというクリーニング法を試したことを思い出しました。
当時の自分は、「なぜ私が謝らなければならないのか!!」と激しく憤ってしまい、平静に唱えることも無心にやることも出来ず、結局その大きな効果を体感することなく終わっていたのです。
何のために謝り、許しを請い、感謝し、愛するのかまったくわからない状態でした。(それを知らなくても出来るそうです)
愛着障害があり、両親への被害者意識バリバリで、カウンセリングへ通って、自分を労うことを六年ほどやり、やっと落ち着いてきました。
最初のカウンセリングで、自分は労われる存在だったのか!!と驚いたのを思い出します。私は自分のことを愛の対象にはしていませんでした。
思春期の頃、家族に尽くせと言われて深く傷ついた経験があります。なぜならそれまでの私は既に、無私で家族に尽くしていたんです。それ以上を求められ、家族に何も伝わっていないことに絶望しました。
大人になり、一人暮らしを始めてからもずっと被害者で奴隷でした。自分の人生について考えることを禁止して、かろうじて自分にとって許せることだけをこなして生きていました。自分の人生を捨ててでも家族のために生きていることを認めてもらいたかったのです。
赤ちゃんを見ると羨ましくて仕方なかったです。安心で何も考えてなくて、幸せそうで。カウンセリングに通ううち、そのことに気づいて本当にびっくりしました。ずっと満たされない部分を見ないふりをしてたんですね。そうしないと生きられなかったんです。

今回このホ・オポノポノを思い出したとき、その四つの意味が自ずとハマりました。
私には自分に謝る理由がありました。
自分を粗末に扱ってきたので。
ごめんなさい。
怒らせて当然の事を自分にして来たので。
許してね。
こんな苦しい人生なのに、へこたれず生きようとしてくれた身体なので。
ありがとう。
私はそんな自分を、本当はずっと愛したいと思っていたので。
愛しています。
自分自身にとんでもないことをしてきた。
身体に暴言を吐きまくって来た、ストレスを与えてきたのは自分。
今、すごくわかる。やめよう、傷つけるようなイメージをすることは。
自分のイメージで嘘をつくのは。悲しい妄想で自分をいじめるのは。
全部の答えが見えたので、大泣きしながらやりました。
めちゃくちゃ自分を粗末に扱ってきた。
そういうやり方しか教えてもらえなかったから仕方ないけど、本当は自分を大事にしたかった、愛したかったよね。(本心)
禁止令で自分の可能性、選択肢をぶっ潰してきた。(奴隷の自分で自己否定)
本当に自分がしたことを自分に謝らないと始まらないと思いました。
笑ってしまうのですが、そこに親の存在はなく、もはや私と私の関係しか存在しませんでした。
私が自分をどう扱うか、それだけの問題になっていました。

その時はもうこの年末年始ずっとやろうと思いましたが、三日ほど浸っていたら自然と終わりました。
これは本当の反省だったし、黙って耐えてくれていた自分にも届いたのだと思いました。
最後に出てきたのは、小さな頃の笑顔の自分、「自分にニコニコでいる」という感覚でした。
自分を見る、自分に笑いかけてあげる=安心感を与える
自分が欲しかったものです。
これがどのように生きるべきかの答えだと思いました。
赤ちゃんがしていますね。
私も多分赤ちゃんの頃していたことだな、と思いました。
誰かに、ではなく、まず自分へ。
私は神社へ参るのが好きなのですが、ご神体は鏡です。
そう、私が笑えば、笑い返してくれるのは私なのです。
通じ合う私と私、そこに神様がいる。
笑顔が欲しければ、私が笑わなきゃね。もういじめちゃダメ、いじめないよ、と。

私はどこから来たのか?

私は親とはどうしても合いません。色々ありましたが、仕方ない、合わないもんは合わないよね、ということで一応互いに理解しています。
その理解が互いにあることは、私にとっても親にとっても幸せなことだと思います。
だって余計なことをせずに過ごせるし、もう無駄に近づいて喧嘩になることもないからです。(でもたまに寂しくなって近寄って喧嘩します。悲しいけど仕方ない)
これは多分、一般的な人間関係においての相互理解というやつで、家族だからって何でも理解し合えるわけじゃない、血を分けたらわかるはずという幻想に折り合いをつけた関係だと思っています。
そりゃ、家族が安らぐ場所であれば本当に心強いし安心だし、羨ましいけど。うちはそうじゃないから。
今は、自分の親がそういう話が通じる相手で良かったなと思います。
親も私との話や価値観の合わなさがしんどかったと思います。
互いに愛と思っても傷つけたり、傷ついたりしてましたから。

親とは合わない私ですが、なぜかご先祖様というものにすごく親近感というか、信頼や愛を持っています。私は自分はそこそこ善人だと思っているし、そこそこ健康で、これは間違いなくご先祖様に貰ったものだと思うので、そこには感謝出来ます。
不思議なことに、これは関係の悪かった母が伝えてくれたことなのです。
子供の頃、田舎へ帰ると父方母方両方の祖父母が語ってくれたこと、その姿。
母が伝え聞いたことを実家で語ってくれた時の事。

機能不全家族は間違いなく、先祖代々伝わったものですが、私にとって見も知らないご先祖様たちのエピソードは、誇りになりうるものでした。
私もいい加減で適当な人間なので、遠くなると、小さくなるのかなあと思います。罪も苦しみ悲しみも。
知り得ないことを責める気にはならないし。
ご先祖様も、直接の親子なら葛藤を抱いただろうけど、遠い子孫なら、やってんなー、頑張れよー、大変だったなあと言葉をかけてヨシヨシしてくれるだろうと問答無用で思えます。私にとって、その想像の余地があるのが知らないご先祖様(亡くなった人)なのです。

子供の頃、夏休みなどに田舎へ帰ると、見かけた風景。
母方の祖母は毎晩、親族の人数分の般若心経を唱えてから眠るという習慣を持っていました。
その様子を印象深く覚えています。
私が神社仏閣好きなのは間違いなく祖母の姿を見ていたせいだと思います。
大事に思ってくれるご先祖様がいて、家族を思う祖母がいて。
父方の祖父からは、名前の由来になる言葉をもらったのもあり、私はご先祖様や祖父母からは、安心感を肌で感じられたのだと思います。

ルーツを見渡す。

そうやって記憶に残ったものを思い出していると、私がこれまでの人生で何を受け取ったかということの輪郭がちょっとわかってきました。
そこそこ善人で、そこそこ健康で、あとは信心とか、尊敬とか、想像力です。
静かに私の中へ潜っていくと、それは同時に俯瞰になりました。
俯瞰して、もっと俯瞰していくと。
私の中にあったのは、見渡す限り、ご先祖様の世界でした。薄暗い世界にお墓しか見えません。
みんな眠ってらっしゃるのです。
私にはそれは安らぎであり、癒しに感じました。

あーみんなここにいたのかと
みんな大変だったねと
もの言わぬご先祖様が、瞬間、全部こっち側になったんです。
みんな、自分を生きて、今は安らかに眠っている。
お疲れさまです、ありがとう、おやすみなさい。
私は一人じゃなかった。
ご先祖様に親近感が湧く、つまりそれは、人間として生きた頃のご先祖様へのリスペクト、労いと共感でした。
ご先祖様への共感が、強烈に私を癒してくれました。

人としてしてはいけないこと

私がさんざん自分をいじめた挙句気づいたことは、
人はもちろん、自分すらも粗末に扱ってはいけない、ということです。
損失と表現した部分がありますが、別に損したと思ってはいません。
でもこれは本来やらなくていいことなので、将来はこんなナンセンスな苦しみはなくなるといいなと思ってます。
人は自分が何をしているかに気づかなければならないんだなと。
そういえばイエス・キリストもそんなことを言っていました。
彼らは何をしているかわかっていない、と。
人を傷つけないのは言うまでもなく、自分をも傷つけない。
傷つけるものからは離れること、自分を守ること。
互いのために傷つけあう以外の方法を探すこと。
これは知恵なんだと思います。

自分を大事にするって何? 意味わからん。

そこから始まった私の旅はやっと次へ進めそうです。
ここからまた私にしか経験出来ない人生を進もうと思います。
安心感や自信がなく、人間としての土台がゆるゆるで何を目指すべきかもわからなかったけれど、自分の思い出がくれた答えを土台にして、やっと自分の望みを理解して進むことが出来ます。

羯諦ぎゃてい羯諦ぎゃてい波羅はら羯諦ぎゃてい波羅僧はらそう羯諦ぎゃてい菩提ぼじ薩婆訶そわか

行こうよ行こうよ、向こう岸へ行ったよ。悟りよ、幸いあれ!

祖母が唱えていた、般若心経の最後の一節です。
答えはずっと人生に現れていました。
神仏もご先祖様も、祖母も伝えてくれていました。
ここまで生きなければ実感出来なかった、だったらここまで生きてきた自分を褒めよう。
隅から隅まで私の人生だと実感できます。
私は愛されていたし、自分を愛したかったしそうして構わなかった。だから自分にニコニコでいる。
これが私の答えです。
時間も人生も、何一つ私を否定していない。
いつかあの世へ行く人間として、この先の未来が誰かの喜びに変わるよう、生きていきたいと思います。ダレることもあるけどね!

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